ゴールドウィン・ピクチャーズ
・コーポレーション
Goldwyn Pictures Corporation250px|center|レオ・ザ・ライオン
ゴールドウィン・ピクチャーズ・コーポレーション(Goldwyn Pictures Corporation)は、かつて存在したアメリカ合衆国の映画会社である。
略歴・概要とアーチボルド・セルフィン兄弟とパートナーシップを結び、両者の姓を合成して命名した。「ゴールドウィン」以外のもうひとつのとりあわせでは「セルフィッシュ・ピクチャーズ」(利己的映画会社)になるので、こちらは即座に却下された。これを機に、ゴールドフィッシュはその姓名を、現在知られるサミュエル・ゴールドウィンに法的に改名した。『いたづら娘』(1918年)のメーベル・ノーマンド。
当初、同社はニュージャージー州フォートリーで、ソラックス・スタジオから映画製作のための施設を賃借していた。同社が適度に成功したと言えるが、もっとも有名なのはトレードマークの「レオ・ザ・ライオン」である。
サミュエル・ゴールドウィンは、最終的には、米国内で支配的な演劇の興行会社であるシューバート・オーガニゼイションを率いるリー・シューバートを引き入れたセルフィン兄弟たちが強制的に排除した。シューバートは同社を支配し、映画興行界の大物マーカス・ロウとロウが経営するメトロ・ピクチャーズに同社を合併させ、メトロ・ゴールドウィン・ピクチャーズとし、新しい会社にトレードマーク「レオ・ザ・ライオン」を付与した。
メトロ・ゴールドウィン・ピクチャーズがルイス・B・メイヤー・ピクチャーズの合流を受けた結果、生まれた新しい映画スタジオが、メトロ=ゴールドウィン=メイヤー(MGM)である。のちの1981年(昭和56年)にユナイテッド・アーティスツと合併し、MGM/UAエンタテインメント・カンパニーとなった。
同社を放擲されたサミュエル・ゴールドウィンは、1923年(大正12年)にサミュエル・ゴールドウィン・プロダクションズを設立している。映画産業においてもっとも尊敬されるべきプロデューサーになることはできたが、合併前に放擲されたメトロ=ゴールドウィン=メイヤーとは、まったく具体的な関係がなくなっていた。
関連事項
エドガー・セルフィン (Edgar Selwyn)
アーチボルド・セルフィン (Archibald Selwyn)
ソラックス・スタジオ (Solax Studios)
シューバート・オーガニゼイション (The Shubert Organization)
リー・シューバート (Lee Shubert)
マーカス・ロウ (Marcus Loew)
メトロ・ピクチャーズ (Metro Pictures)
ルイス・B・メイヤー (Louis B. Mayer)
サミュエル・ゴールドウィン・スタジオ (Samuel Goldwyn Studio)
註[脚注の使い方]
外部リンク
Goldwyn Pictures Corporation(英語) - Internet Movie Database
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