ゴールデン_(コロラド州)
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ゴールデン市
City of Golden

ゴールデン市中心部
標語 : "Where the West Lives (西部が生きるところ)"
位置

左: コロラド州におけるジェファーソン郡の位置
右: ジェファーソン郡におけるゴールデンの市域
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯39度45分27秒 西経105度13分24秒 / 北緯39.75750度 西経105.22333度 / 39.75750; -105.22333
歴史
創設1859年6月12日[1]
行政
アメリカ合衆国
 州コロラド州
 郡ジェファーソン郡
 市ゴールデン市
地理
面積 
  市域26.05 km2 (10.06 mi2)
    陸上  25.81 km2 (9.97 mi2)
    水面  0.24 km2 (0.09 mi2)
標高1,730 m (5,675 ft)
人口
人口2010年現在)
  市域18,867人
    人口密度  731.0人/km2(1,892.4人/mi2)
その他
等時帯山岳部標準時 (UTC-7)
夏時間山岳部夏時間 (UTC-6)
公式ウェブサイト : ⇒http://www.cityofgolden.net/

ゴールデン(Golden)は、アメリカ合衆国コロラド州中北部に位置する都市。州都デンバーの西約20kmに位置し、同市の都市圏および広域都市圏内の郊外都市となっていると共に、同州ジェファーソン郡郡庁所在地である。人口は18,867人(2010年国勢調査[2]

ゴールデンはパイクスピークのゴールドラッシュの最中、1859年に、ゴールデンシティという鉱夫の野営地として創設された。ゴールデンシティという名は、この時に入植したジョージア州出身の鉱夫トーマス・L・ゴールデンにちなんでつけられた。やがて1860年、ゴールデンシティはジェファーソン準州の準州都となった。翌1861年コロラド準州が新設されると、一旦は準州都がコロラドシティに移ったものの、さらにその翌年、1862年に準州都がゴールデンシティに戻された。その後1867年、準州都はデンバーシティ(現デンバー)に移された。1876年にコロラドが州に昇格した後も、州都は引き続きデンバーに置かれ、ゴールデンに戻ってくることはなかった。

ゴールデンには理工系の専攻に特化した州立大学であるコロラド鉱山大学が置かれている。また、国立再生可能エネルギー研究所、国立地震情報センター、アメリカ登山センター、およびコロラド鉄道博物館もゴールデンに置かれている。ゴールデンはビール醸造会社クアーズや、そのクアーズの創業者一家によって設立され、磁器の製造から始まって、現在では半導体自動車等に用いられる工業用セラミックスを製造するクアーズテック、製菓会社ジョリー・レンチャー(現ハーシーズ傘下)創業の地である。また、ナイフメーカーのスパイダルコ、および自転車メーカーのイェティ・サイクルズも本社を置いている。西部開拓時代ガンマンバッファロー・ビルは、ゴールデンの西にそびえるルックアウト山に眠っている。
歴史ゴールデン(1868年

ゴールドラッシュの最中、1859年6月12日、ロッキー山脈の麓、デンバーシティの西、クリアクリーク沿いのこの地にゴールデンシティが創設された[1]。ゴールデンシティという名は、ジョージア州出身の鉱夫で、初期の入植者の1人であるトーマス・L・ゴールデンにちなんでつけられた。なお、初期の入植者として著名な者には、後にコロラド・セントラル鉄道を創立するウィリアム・A・H・ラブランドや、ジョージ・ウェストらがいた。創設されると間もないうちに、ゴールデンシティはその西側の金鉱と東側の平原との通商の拠点へ、そして地域の経済、産業と政治の中心地へと発展していった[3]。翌1860年、住民投票でジェファーソン郡の郡庁がゴールデンシティに置かれることになった。また、準州憲法の草案に記された通り、ジェファーソン準州の準州都は当初、ゴールデンシティに置かれた。当時のゴールデンシティの人口は700人程度であったが、ロッキー山中の鉱山町に近く、デンバーシティに比べて議会の定足数を満たしやすいことが、ゴールデンシティに有利に働いた[4]1861年コロラド準州が創設されると、デンバーの南にあった小さな町、コロラドシティ(現コロラドスプリングス市オールド・コロラドシティ地区)に準州都が移ったが、翌1862年には投票により、準州都が正式にゴールデンシティに戻された[5]ゴールデン市史上最初の石造建築物、アスター・ハウス。現在は博物館になっている。

南北戦争中、軍事的、経済的、その他諸々の理由でその住民の多くを失ったものの、1862年8月2日、ゴールデンシティは連邦に認められたコロラド準州の準州都となった。その後1867年まで、コロラド準州都はゴールデンシティに置かれた[6]。また、1862年から1870年代初頭にかけて、ゴールデンとデンバーは激しい鉄道争奪戦を繰り広げた。1860年代中盤には、ゴールデンは準州の権力の中枢というよりは、もはや名ばかりの準州都となっていた。一方、デンバーはより大きな都市に発展し、準州議会が開催され、準州知事が住むなど、事実上の準州の中心地とみなされるようになっていた。ゴールデンの市民および支持者は、100マイル(160km)北のシャイアンを通る、最初の大陸横断鉄道につながる鉄道をゴールデンから敷くことが、ゴールデンを準州の商業の中心地として再び発展させる唯一の可能性であると認識するようになった。1865年2月9日、ウィリアム・A・H・ラブランドはそのためにコロラド・セントラル鉄道を設立した[3]。ゴールデンにおける鉄道敷設の機運が高まると、デンバーでもそれに対抗するように、鉄道敷設の機運が高まった。デンバーの地元紙ロッキー・マウンテン・ニューズは、デンバーの住民に鉄道敷設資金調達への協力を呼びかけるべく、次のような記事を掲載した[7]。 If we vote $500,000 in bonds to the Denver Pacific railway all is well. If we defeat those bonds, all hope of a railroad for the next two years is gone... Gentlemen of Denver, what will you do? The fate of your city is in your own hands.

(訳)もし我々が、デンバーパシフィック鉄道のために500,000ドルの債券発行を可決するなら、全てはうまくいく。もしこの債権が否決されたら、今後2年にわたって鉄道敷設の望みは全て絶たれる... デンバーの紳士たちよ、貴方はどうする? デンバーの運命は、貴方たちの手にかかっている。

デンバーの住民は債券発行を可決し、デンバー・パシフィック鉄道の建設に拍車がかかった。1869年には、シャイアンへの鉄道敷設をめぐる競争はデンバー・パシフィック鉄道がコロラド・セントラル鉄道を大きく引き離し、もはや勝負にならないほどになっていた。シャイアンへの路線について敗色が濃厚になってきたのを認識したコロラド・セントラル鉄道は、代わりに銀鉱の町としてロッキー山中に創られたジョージタウン、ブラックホーク、セントラルシティといった町に路線を拡大していった[8]。その最中にもデンバー・パシフィック鉄道の鉄道建設は進み、ついに1870年、デンバーからシャイアンへの路線が開通した。その7年後、1877年にはコロラド・セントラル鉄道もゴールデンからシャイアンまで開通したが、その頃には既に、ゴールデンに勝ち目は無くなっていた[4]


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