ゴールデン・ハーフ
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ゴールデン・ハーフ(Golden Half)は、1970年代前半に活動したメンバーの全員がハーフ(という設定)の女性アイドルグループ渡辺プロダクション所属。『週刊セブンティーン』1972年3月14日号の「アイドル名鑑」には所属事務所は、上条英男の「サンズ・カンパニー」と書かれている[1]

1970年9月、スリー・キャッツの「黄色いさくらんぼ」をカバーしてデビュー。結成当時は5人だったが、すぐエリーが抜けて4人組に。4人時代が人気絶頂期だった。最終的には1973年の「アダムとイヴ」でメンバーのリーダーだった小林ユミが抜けて3人となり、翌1974年に「メロンの気持」を最後に解散[2]

本項では後に結成されたゴールデン・ハーフ・スペシャルについても記述する。
メンバー

エバ(エバ・マリア・バスケス、
1953年12月10日[1] - )
長野県長野市出身[3]スペイン人(父)と日本人(母)のハーフ。セントテレサスカレッジを8年で中退[3]。身長160cm(1972年3月)[1]。グループ解散後は「ほほにかかる涙」(1975年・東芝レコード) でソロ・デビュー。その後はタレントとして『霊感ヤマカン第六感』『笑って!笑って!!60分』『お笑いマンガ道場』などのテレビ番組にレギュラー出演。バラドルの草分け。1978年当時、ダイアナ・ロスのファンとしていたことがある[3]

マリア(マリア・エリザベス、1955年4月30日[1] - )
札幌生まれ、アメリカ育ち。アメリカ人(父)と日本人(母)のハーフ。父は当時FBI職員だった。身長164cm(1972年3月)[1]。解散後は、森マリアの芸名で女優として活動し、1990年代中頃に芸能界を引退。

ルナ(高村ルナ1952年9月18日[1] - 2004年3月6日
神戸市生まれ。ドイツ人(父)と日本人(母)のハーフ。身長161cm(1972年3月)[1]。ゴールデン・ハーフ解散後、本名の高村ルナで女優として活動。1974年、映画『エスパイ』に出演。日活ロマンポルノ『修道女ルナの告白』(1976年)、『ルナの告白 私に群がった男たち』(1976年)に主演。ソロとして高村ルナ名義で「天使の朝」(1975年・クラウンレコード) もリリース。2004年3月6日、癌のため、ホノルル市内の病院で死去。
脱退メンバー

ユミ(小林ユミ、
1950年8月18日[1] - )
イタリア人(父)と日本人(母)のハーフと称していたが、後に自身が「両親とも日本人」と公表。身長164cm(1972年3月)[1]。ゴールデン・ハーフのリーダーだったが、1973年にグループを脱退。

エリー(石山エリー、1951年10月6日 - )
タイ人(父)と日本人(母)のハーフ。「黄色いサクランボ」をリリース後まもなく脱退。
主な出演作品
映画

野良猫ロック セックス・ハンター1970年

ずべ公番長 夢は夜ひらく1970年

喜劇 昨日の敵は今日も敵1971年

エスパイ1974年

テレビ

8時だョ!全員集合TBS

真理ちゃんとデイト(TBS)第12回

ブンブンバンバン名古屋テレビ

ハッチャキ!!マチャアキNTV

マチャアキのシャカリキ大放送!!(NTV)

カックラキン大放送(NTV)

ヒットで勝負!!NET

やっちゃおう!チータ(NET)

CM

ミリンダメロン(
ペプシコーラ

ダイハツ・デルタ750(セブンハーフ)

ディスコグラフィ
シングル
黄色いサクランボ c/w 恋人がほしいの(1970.08.05)A面は
スリー・キャッツのカバー

ケ・セラ・セラ c/w おんなの弱点教えます(1970.12.21)A面はドリス・デイのカバー

ゴールデン・ハーフのバナナボート c/w レモンのキッス(1971.05.05)A面はハリー・ベラフォンテが歌ってヒットしたジャマイカ民謡の、B面はナンシー・シナトラのカバー


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