その他の用法については「ゴールデンハインド」をご覧ください。
ゴールデン・ハインド
基本情報
運用者 イングランド王国
艦種ガレオン船
艦歴
進水1577年
最期1600年代後半に解体。
現況2隻のレプリカが存在。
要目
排水量305 トン
トン数100 - 150 トン
全長36.5 m (120 ft)
最大幅6.7 m (22 ft)
高さ27 m (89 ft)
吃水4.1 m (13 ft)
帆装3本マスト、帆面積386m2
速力8 kn (15 km/h)
乗員80 -85名
兵装.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
ペトラ砲(船首×2、船尾×2)
ファルコネット砲(船首×2、船尾×2)
ミニオン砲
ゴールデン・ハインド(Golden Hind)は、イングランド王国のガレオン船。「16世紀半ばのキャラック船からガレオン船への移行期の軍艦」とされている[1]。
エリザベス朝時代、フランシス・ドレークが用いた私掠船として有名。ジョン・ホーキンスがフランス軍艦を参考にして改良した新しいガリオン船である[2]。
元々の船名は「ペリカン」だったが、1577年から1580年にかけて行われた地球一周航海の途上の1578年8月20日に支援者のひとりクリストファー・ハットン(英語版)卿を称えて、ハットン家の紋章「黄金の牝鹿 (Golden Hind)」 にちなんで改名された[3]。 イングランド女王エリザベス1世は、マゼラン海峡を通過し南米大陸の西海岸を探検するフランシス・ドレークの遠征隊への支援を決めた。ドレークは、この探検で自身と女王に利益をもたらすと同時にスペインに最大の損害を与えることを約束した。出港前にドレークは女王に拝謁し、「スペイン王にこれまでイングランドが受けた多くの傷の代償を払わせます」と誓った[4]。 ドレークの遠征隊の表向きの目的は、「新しい航路の発見」だった。 しかし、彼らはエリザベス1世からの非公式な支援を得て、 私掠船団として行動した[5]。 ドレイクの遠征隊は1577年12月に総員164名で5隻の小型船で出航し、1578年初頭にブラジルの海岸に到着した[6]。 1579年3月1日、「ゴールデン・ハインド」は現在のエクアドル沖の太平洋上でスペインのガレオン船「聖母マリア号
船歴
1580年9月26日、ドレークは80名の乗員中56人と戦利品を乗せた「ゴールデン・ハインド」をプリマスに向けて出港させた。帰国した船はプリマス近くのサルタッシュ城で王家の衛兵の監視の下で荷降ろしを行った[10]。積荷の中には、当時は同じ重さの金と交換で取引されていたモルッカ諸島産のクローブ6tも含まれていた[9]。