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出典検索?: "ゴールデンゴール"
ゴールデンゴール(Golden goal)は、サッカー、フィールドホッケーおよびラクロスの延長戦の方式の1つ。いわゆる「サドンデス方式」のことであり、延長戦(サッカーは前後半15分ずつ、フィールドホッケーは前後半7分30秒ずつ)の間に一方のチームが得点した場合、試合を打ち切りその得点を入れたチームを勝者とする。
なお、日本国内のサッカー大会においては「サドンデス」のほか「Vゴール」という名称が用いられていた(後述)。 このルールを世界で初めてリーグ戦に採用したのは、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)である[1]。目的は劇的なシーンをつくって盛り上げるためとされた[1]。試験的に第2回コニカカップ(1991年)と、1992年のJリーグカップのそれぞれ予選リーグにて採用された。 当時の日本では「サッカーは野球に比べて点が入らない」「引き分けが多くてつまらない」という見方があり、リーグ戦でも勝ち負けをはっきりさせるという方針を徹底。正規の90分間で決着がつかない場合、延長戦(前後半15分ずつ)をサドンデス方式で戦い、それでも同点の場合はPK戦で決めるという完全決着方式だった。 以降、日本国内ではJリーグの下部組織や各種大会でも多く採用されるようになった。当初は日本において他のスポーツで使われてきたサドンデスという用語から「延長サドンデス」方式という名称が定められたが、「サドンデス」という言葉は「突然死」という意味のためイメージが悪いとして1994年、ビクトリーの頭文字から「延長Vゴール」方式という名称に変更された。 1999年のJ1最終節、浦和対広島戦で、延長後半1分に浦和の福田正博がVゴールを決めたが、正規の90分終了時点ですでにJ2降格が決まっており、福田は勝利の喜びを浮かべなかった。この得点は「史上最も悲しいVゴール」と呼ばれ、Jリーグ公式YouTubeチャンネルの「ファンが選ぶ、記憶に残るVゴールTOP10」というアンケート企画で第1位に選ばれた[2]。その1年後、J2最終節で浦和は土橋正樹のVゴールによりJ1復帰を果たした。 2001年のJ1チャンピオンシップでは、1stステージ優勝の磐田と2ndステージ優勝の鹿島という当時の二強ライバル同士が対戦。第1戦2-2、第2戦0-0で延長戦に入り、延長前半10分に鹿島の小笠原満男が直接FKでVゴールを決め、年間王者を獲得した[3]。 この方式がFIFAで検討された理由は主にふたつあり、ひとつは近代サッカーで一般的となったゾーンプレスなどの戦術や、大会が増えた事に伴う過密日程などにより、選手の体力が過度に消耗されている現状を指摘されるようになった事に対し、少しでも試合時間を短く切り上げる事。
歴史
発祥(英語版)の決勝である。ただし、当時はゴールデンゴールと呼ばれていたわけではない。
リーグ戦での採用
国際ルールへの採用