ゴータ市電
ゴータ市電の主力車両・KT4D(2021年撮影)
基本情報
国 ドイツ
所在地 テューリンゲン州
ゴータ
バート・タバルツ
ゴータ市電(ゴータしでん、ドイツ語: Strasenbahn Gotha)は、ドイツ・テューリンゲン州の都市・ゴータと近隣都市のバート・タバルツ(ドイツ語版)に路線網を有する路面電車。19世紀末に開通した長い歴史を持つ路線で、2022年現在はテューリンガー・ヴァルト鉄道・ゴータ路面電車有限会社(Thuringerwaldbahn und Strasenbahn Gotha GmbH、TWSB)によって運営されている[3][4][5]。 ゴータ市内に軌道交通を導入する計画は19世紀後半から始まり、1893年に当時のザクセン=コーブルク=ゴータ公国は当時最新鋭の交通機関である路面電車を導入する事を決定した。同年からベルリンの企業によって建設が進められ、1894年5月2日に開通式が行われた後、翌5月3日から最初の路線となる全長2.7 kmの営業運転が始まった。当初この路面電車はフランクフルト・アム・マインに本社を置く企業によって運営されており、以降は同企業が立ち上げた計画に沿って延伸が行われた[3][4]。 一方、1911年にはドイツの電機メーカーであるAEGとゴータ公国との間で、ゴータ市内からテューリンゲンの森を経由し、タバルツ
歴史
動態保存が行われている旧型車両(2006年撮影)
その後はトゥーリンガー・ヴァルト鉄道の路線を含めて多くの乗客が利用する事となったが、第二次世界大戦中の空襲により路面電車は甚大な被害を受け、運行停止を余儀なくされた。全線が復旧したのは戦後の1950年である。その間の1948年、路面電車路線の運営権は東ドイツの国営会社(人民公社、VEB)であるゴータ資源供給人民公社(VEB Energieversorgung Gotha)に移管され、1951年にテューリンガー・ヴァルト鉄道・ゴータ路面電車人民公社(VEB (K) Thuringerwaldbahn und Strasenbahn Gotha)として独立している[3][4]。
車両については、1950年代以降東ドイツの国営企業で生産された車両が継続的に導入された。特に1950年代後半からは地元・ゴータの鉄道車両メーカーであったゴータ車両製造公社が開発・製造した車両が多数導入され、1960年代後半には連接車も登場したが、経済相互援助会議(コメコン)の意向によってゴータ車両製造人民公社による車両製造が終了したため、その後はチェコスロバキアの?KDタトラが製造した車両の導入が行われた[3][4][7]。
ゴータ車両製造製の3車体連接車・G4-65(1991年撮影)
?KDタトラ製の2軸車・T2D(1991年撮影)
?KDタトラ製の2車体連接車・KT4D(市内系統用、1991年撮影)
?KDタトラ製の2車体連接車・KT4D(テューリンガー・ヴァルト鉄道用、1991年撮影)
1980年以降、運営事業者は幾度かの変遷を経て、東ドイツの民主化やドイツ再統一の動きを受けて1991年以降現在のテューリンガー・ヴァルト鉄道・ゴータ路面電車有限会社(Thuringerwaldbahn und Strasenbahn Gotha GmbH)となっている。それ以降、線路や駅舎、車庫といった施設の近代化が継続して行われており、2002年3月23日には郊外のズントハウゼン地区(Sundhausen)の病院へ向かう路線が開通している[3][4]。
一方、車両の増備については1991年以降他都市の路面電車からの譲受によって賄われており、マンハイム(マンハイム市電(ドイツ語版))、ボーフム(ボーフム市電)、エアフルト(エアフルト市電)に加え、スイスのバーゼル(バーゼルラント交通(ドイツ語版))の車両が導入されている。これに伴い、東ドイツ時代から長年にわたり使用されていた2軸車は1990年代までに営業運転を終了している[3][4]。 2022年現在、ゴータ市電は以下の系統で運行している。テューリンガー・ヴァルト鉄道・ゴータ路面電車有限会社は中央テューリンゲン運輸協会
マンハイム市電からの譲渡車両・GT6(片運転台)(1991年撮影)
ボーフム市電からの譲渡車両・GT6(両運転台)(2004年撮影)
運用
系統番号起点終点備考
1HauptbahnhofKreiskrankenhaus
2HauptbahnhofOstbahnhof
3WagenhalleOstbahnhofOstbahnhof方面は早朝に数本、Wagenhalle方面は深夜に数本のみ運行
4HauptbahnhofBad Tabarzテューリンガー・ヴァルト鉄道(本線)