ゴンザーガ家(Gonzaga)は、イタリアの貴族の家系。マントヴァの僭主(シニョーレ)として知られる。15世紀から16世紀のマントヴァ宮廷に華やかなルネサンス文化を育てた。ゴンツァーガ家、ゴンヅァーガ家とも表記される。 1328年、シニョーレであったボナコルシ家
概要
直系の子孫は1627年で途絶え、フランスでヌヴェール侯爵領を統治していた分家のカルロ1世が継いだが、直後に継承戦争が勃発し、1630年にはオーストリア・ハプスブルク家に侵攻された。次第に勢力が衰え、1708年、最後の当主フェルディナンド・カルロが子どもを残さずに死去すると、マントヴァ公国はハプスブルク家領のミラノ公国に併合された。 フランチェスコ2世、フェデリーコ2世の時代にルネサンスの宮廷文化が栄えた。 フィリッポ
主な人物
フランチェスコ2世(Francesco II, 1466年 - 1519年)第4代マントヴァ侯。フランチェスコに嫁いだイザベラ・デステ(Isabella d'Este Gonzaga 1474年 - 1539年)はルネサンス史上最も有名な女性の一人で、多くの文化人を宮廷に集めたことで知られる。レオナルド・ダ・ヴィンチやティツィアーノがイザベラの肖像を描いている。
フェデリーコ2世(Federico II, 1500年 - 1540年)フランチェスコ2世とイザベラの子で、マントヴァ侯を継いだ。1530年にマントヴァ公の称号を得た。母親譲りの文化愛好者でラファエロの弟子ジュリオ・ロマーノを招き、夏の別荘パラッツォ・デル・テを建てさせた。
系図
(1200年頃)
グイドーネ
(?-c.1271)
コッラード
(?-1320)
ルドヴィーコ1世
グイード
ルドヴィーコ2世
フランチェスコ1世
ジャンフランチェスコ1世
マントヴァ侯 パオラ
(ペーザロ領主マラテスタ4世娘) アルダ
=フランチェスコ・ダ・カラーラ スザンナ
=マルケーゼ・デステ
ルドヴィーコ3世
マントヴァ侯 カルロ
(?-1456) ジャンルチド
(?-1448) アレッサンドロ
(?-1466)
カスティリオーネ領主 アグネシーナ
(ウルビーノ伯グイダントーニオ娘) チェチーリア
(?-1451) マルゲリータ
(1418-1439)
=フェラーラ侯レオネッロ・デステ
フェデリーコ1世
マントヴァ侯
フランチェスコ2世
マントヴァ侯
フェデリーコ2世
マントヴァ公
モンフェラート侯 フェランテ1世
グアスタッラ伯
フランチェスコ3世
マントヴァ公
モンフェラート侯 グリエルモ
マントヴァ公
モンフェラート公 ルドヴィーコ
ヌヴェール公 チェーザレ1世
グアスタッラ伯
ヴィンチェンツォ1世
マントヴァ公
モンフェラート公
フランチェスコ4世
マントヴァ公
モンフェラート公 フェルディナンド1世
マントヴァ公
モンフェラート公 ヴィンチェンツォ2世
マントヴァ公
モンフェラート公 カルロ1世
マントヴァ公
モンフェラート公
ヌヴェール公 フェランテ2世
グアスタッラ公
マリーア カルロ(2世)
ヌヴェール公 チェーザレ2世
グアスタッラ公
カルロ2世
マントヴァ公
モンフェラート公
ヌヴェール公 フェランテ3世
グアスタッラ公
フェルディナンド・カルロ
マントヴァ公
モンフェラート公 アンナ・イザベッラ
関連項目
ドゥカーレ宮殿