ゴラン・イワニセビッチ
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ゴラン・イワニセビッチ
Goran Ivani?evi?


2004年ウィンブルドンでプレーする
ゴラン・イワニセビッチ
基本情報
フルネームGoran ?imun Ivani?evi?
国籍 クロアチア
出身地同・スプリト
生年月日 (1971-09-13) 1971年9月13日(52歳)
身長193cm
体重81kg
利き手左
バックハンド両手打ち
殿堂入り2020年
ツアー経歴
デビュー年1988年
引退年2004年
ツアー通算31勝
シングルス22勝
ダブルス9勝
生涯通算成績862勝558敗
シングルス599勝333敗
ダブルス263勝226敗
生涯獲得賞金$19,878,007
4大大会最高成績・シングルス
全豪ベスト8(1989・94・97)
全仏ベスト8(1990・92・94)
ウィンブルドン(英)優勝(2001)
全米ベスト4(1996)
優勝回数1(英1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪2回戦(1990・94)
全仏準優勝(1990・99)
ウィンブルドン(英)3回戦(1989・93)
全米ベスト8(1997)
キャリア自己最高ランキング
シングルス2位(1994年7月4日)
ダブルス20位(1992年1月6日)
獲得メダル

男子 テニス
オリンピック
1992 バルセロナシングルス
銅1992 バルセロナダブルス

■テンプレート  ■プロジェクト テニス

ゴラン・シムン・イワニセビッチ(Goran ?imun Ivani?evi?, クロアチア語発音: [??ran i?an?????it?], 1971年9月13日 - )は、クロアチアスプリト出身の元男子プロテニス選手、テニス指導者。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス20位。ATPツアーシングルス22勝、ダブルス9勝。姓の原音により近い表記はイヴァニシェヴィッチであるが、報道等ではイワニセビッチが一般的である。

2001年ウィンブルドン選手権男子シングルス優勝者。また3度の準優勝がある。ATPマスターズシリーズ優勝3回。
プレースタイル

身長193cmの長身から繰り出される左利きの高速サーブを最大の武器とした1990年代を代表するビックサーバー。イワニセビッチのサーブは“サンダー・サーブ”という愛称で呼ばれ、左利きのクイックモーションから打ち出される高速サーブは、通算サービスエース数10,183本の歴代1位記録を長年保持した等、サービスエースを連発していた。(現在は、同国の後輩にあたるイボ・カロビッチが10,247本のサービスエースを記録し、更新している。)
選手経歴
プロ入り、ウィンブルドン無冠の帝王

1988年にプロ入り。4大大会初出場は同年のウィンブルドン選手権で、1回戦でアモス・マンスドルフに敗れた。1989年全豪オープンでイワニセビッチはミロスラフ・メチージュとの準々決勝まで勝ち進み、同年の全仏オープンではステファン・エドベリとの4回戦まで進出している。イワニセビッチが世界的な知名度を高めたのは、1990年全仏オープン1回戦で第2シードのボリス・ベッカーを5-7, 6-4, 7-5, 6-2で破り、トーマス・ムスターとの準々決勝に進出した時だった(この全仏オープンは、第1シードのエドベリと第2シードのベッカーが同時に1回戦で敗退する珍事で幕を開けた大会であった)。続くウィンブルドン選手権で、イワニセビッチはノーシードから初めての準決勝に進出し、再びベッカーと連戦する。この時は6-4, 6-7, 0-6, 6-7で敗れたが、この一連の活躍で18歳のイワニセビッチは将来有望株として評判を高めた。

しかし、イワニセビッチのキャリアは苦難の連続だった。1992年ウィンブルドン選手権で初めての決勝進出を果たしたが、アンドレ・アガシに7-6, 4-6, 4-6, 6-1, 4-6のフルセットで敗れて準優勝。同年にはバルセロナ五輪において単複銅メダルを獲得している。1994年1998年にもウィンブルドン選手権の決勝まで進出するが、ともにピート・サンプラスに敗れ、3度の準優勝で“無冠の帝王”と呼ばれた。

イワニセビッチはウィンブルドン選手権での印象が強いためか、(最初期を除いて)他の4大大会での活躍はあまり目立たない。しかし1996年全米オープンではベスト4に進出している。ダブルスの分野でも、1990年1999年全仏オープン男子ダブルスでの2度準優勝があった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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