ゴヤ_(貨物船)
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竣工直前の「ゴヤ」

ゴヤ(Goya)は、ノルウェーの貨物船。J・ルートヴィヒ・モウィンケルス・レデリ社向けに建造され1940年に竣工し、フランシスコ・デ・ゴヤに因んで命名された。ノルウェー侵攻(ヴェーザー演習作戦)後、ドイツに接収されドイツ海軍で軍隊輸送船として運用された。

第二次世界大戦末期ごろ、バルト海沿岸のドイツ領の孤立地帯からドイツの軍人および民間人を避難させるハンニバル作戦に参加した。1945年4月16日、難民やドイツ国防軍の兵士を満載して航行中、ソ連の潜水艦「L-3」の雷撃により沈没した。

乗客乗員約6,700人のうち、生存者は183人だけであった。「ゴヤ」の沈没は同大戦で発生した海難事故の中で多くの死者を出した事件の1つであり、史上最悪の海難事故の1つでもある[1]
来歴
初期

「ゴヤ」は1940年にオスロのアケルス・メカニスケ・ヴェルクステッドの造船所で貨物船として建造された。全長は146m、幅は17.4m、容積は5,230GRTであり、最大速力は18ノットであった。ドイツによるノルウェー占領後、ドイツに接収され1942年にドイツのUボートへの補助輸送船として改装された[2]。1943年に母艦になったが、その翌年にメーメル(現在のクライペダ)に移され第24潜水隊群の雷撃訓練で標的艦として使用された[2]

1945年のハンニバル作戦中、「ゴヤ」は避難船およびドイツ国防軍の軍隊輸送船として使用され、バルト海東部と南部から西へ人々を運んだ[2]。船長はプリュンネッケであった[3]。一般通念に反して、「ゴヤ」は病院船ではなく一般的な兵隊輸送船であった[2]
沈没

1945年4月16日、「ゴヤ」はグディニャを出港しヘル半島を迂回してバルト海を横断しドイツ西部に向かった。掃海艇2隻が「ゴヤ」と小型船2隻(「クローネンフェルス」と蒸気タグボート)からなる船団を護衛していた[2][3]。「ゴヤ」は撤退するドイツ軍の兵士や赤軍から逃げる民間人を定員以上乗せており、そのうち200人は第25戦車連隊(第7装甲師団所属)の隊員であった[2][1]

出港から4時間後、ヘル半島の最南端付近でソ連の爆撃機による攻撃を受けた[2]。「ゴヤ」に爆弾が1発命中したが小破で済んだ[2]。ヘル半島を通過し船団がダンツィヒ湾に出たところ、リクスヘフト岬(ロゼヴィア岬)の南沖数マイルで魚雷を搭載したソ連の機雷敷設潜水艦「L-3」に発見された[2][4]。「ゴヤ」は潜水艦よりも速く航行できたが、「クローネンフェルス」のエンジンが故障したため船団は減速した。修理するにはエンジンを停止させる必要があり、修理に20分を要した[2]。23時52分ごろ、「L-3」の艦長ウラジーミル・コノヴァロフは4本の魚雷を発射するよう命じた[1][4]。2本の魚雷が「ゴヤ」の船首と船体中央部に命中した[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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