ゴジラ_(初代)
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ゴジラ

ゴジラ (1954年の映画) > ゴジラ (初代)

ゴジラ (架空の怪獣) > ゴジラ (初代)

ゴジラ
ゴジラシリーズのキャラクター
1954年版『ゴジラ』のゴジラ
初登場『ゴジラ』(1954年)
作者

田中友幸

本多猪四郎

円谷英二

中島春雄
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ゴジラ(初代)は、映画『ゴジラ』に登場する架空の怪獣[1]

後々の別個体たちと区別するためにも、関連メディアなどでは初代ゴジラ[出典 1][注釈 1]と呼ばれることが多い。
劇中での活躍

諸元ゴジラ
GODZILLA
[出典 2]
別名水爆大怪獣[出典 3][注釈 2]
身長50 m[出典 5]
体重2万 t[出典 6]
出身地大戸島近海[出典 7][注釈 3]
出現地大戸島近海[出典 8][注釈 4]

最初に現れたゴジラ[32]。出現地点は大戸島→太平洋東京湾品川第二台場品川駅→東京湾→芝浦田町新橋銀座数寄屋橋永田町平河町勝鬨橋→東京湾[25]

作中で山根恭平博士により、200万年前の侏羅紀から白亜紀にかけてまれに生息していたと推測される、海棲爬虫類から陸上獣類への進化途上の生物であることが語られる[27][31]。その一部が秘かに大戸島近海で生き永らえていたが、たび重なるビキニ環礁の水爆実験によって生活環境を破壊された結果、人間が自分たちを苦しめたと知って怒りを抱き、日本近海で貨物船や漁船を何隻も襲撃しては沈めていく[20][7]。大戸島に出現したのち、東京湾から品川へ上陸し、東京の各所を次々と破壊する[7]。最後は東京湾で潜伏中にオキシジェン・デストロイヤーによってもがき苦しんだ後に海上で断末魔の叫びを残して絶命すると、死骸は白骨化を経ての溶解から泡と化して消滅し、海底へ沈んでいった[出典 9]

耳が目よりかなり低い位置に生えており、前腕部が細く、足の指が4本であるのが特徴[39][注釈 5]で、親指が大きく内側に向いている[40]。目に眉がかかっていないため丸い形で、カットによって目線の向きが微妙に異なっているが、基本的に下を向いている[40]。眼球は左右で視線が異なっている[2]。背びれは突起が不規則な炎のような形で先端が尖っている[40]。足は後年のゴジラのように丸太のようなものではなく、細い足首で膝下が生物的なラインを形成している[40]。後年のゴジラのように尻尾を歩きながら振り上げていない[40]。尻尾の節は、後年のゴジラと違い、ボンレスハムのようなくびれではなく、太い根元側に細い側がめり込んで段になっている[40]

体重の設定は後年に「2万トン」で統一されているが、公開当時は「1千トン」や「3千トン」と紹介する資料も存在していたなど一定しておらず、後年に定められたものとされる[34]。一方、身長の設定については、175尺という想定で1/25スケールのミニチュアセットが組まれたため[13]、どの資料でも「50メートル」と一定しており、体重のようなばらつきは見られないが、海外版『怪獣王ゴジラ』の作中では山根が「400フィート(122メートル)」と推測している。

劇中では、ゴジラの行動目的は明らかになっていない[41]。(太平洋上の小島と設定されている)大戸島近海で目撃されていたゴジラが東京を襲撃する理由が定かでないにもかかわらず、人間側がゴジラの襲撃を想定しているなど、物語の強引さを指摘する向きもある[41]

造形中島春雄とゴジラ

造形は利光貞三(雛形、頭部)[出典 10]、八木勘寿、八木康栄(ボディ)[出典 11]による[注釈 6]。助手として、開米栄三[出典 12]鈴木儀雄[出典 13]八木正夫[13]らも参加していた。

造形作業は、東宝の前身となった会社の1つであるピー・シー・エル映画製作所の建物を用いた技術研究施設で行われ、撮影所へは開米と鈴木がリアカーで運んでいた[46]

造形物は複数制作され、それぞれ顔つきが異なっているため、初代ゴジラの顔としてイメージされているものはこれらを複合したものとされる[2]
1号スーツと2号スーツ
着ぐるみは2体製作されている[出典 14]。最初に作られた1号スーツはあまりにも固く重すぎて柔軟性に欠け[注釈 7]、1954年8月7日のゴジラ・テストで壊れて演技ができなかったことから、軽量化した2号スーツが8月中旬に急遽作られた[出典 16][注釈 9]。全身カットはこの2号スーツを使って撮られることとなった[出典 18]。開米によれば、1号スーツの製作には2か月を要したが[出典 19]、2号スーツは半月ほどで完成したという[46][48]。1号スーツは黒目が上向き、2号スーツは黒目が下向きに付けられている[61]。壊れた1号スーツは腰部分で上下に分割され、下半分は銀座品川駅をのし歩く足のアップシーン[出典 20]に、上半分は隅田川水上に頭を出して遊覧船に目撃されるシーン[出典 21]などに用いられた[注釈 10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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