ゴシック・ロック(Gothic rock、ゴスロック、ゴス)は、1970年代に誕生した、ポストパンクやオルタナティヴ・ロックのサブジャンルの一つである。暗いテーマと、ゴシック・ホラーやロマンチシズム、実存主義哲学やニヒリズムといった知的なものを扱う。ゴシック・ロックによって、ゴス文化は、ゴス・クラブやゴシック・ファッション、ゴス専門雑誌などの発展を見せた。 音楽ジャーナリストのサイモン・レイノルズ
スタイル・起源
典型的なゴシック・ロックのテーマは暗く、歌詞や音楽の雰囲気にも表れている。ゴシック・ロックの詩の感性は、ロマン主義、不健全性、実存主義、宗教的な象徴主義、さらには超自然的な神秘主義に基づいている[4]。
マーク・ボラン[5] や、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ、ドアーズ、デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ、 セックス・ピストルズといった者たちが初期のゴシック・ロックの美学や慣例を作り上げた[6][7]。
カート・ローダー(英語版)は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの楽曲「オール・トゥモロウズ・パーティーズ」について、「魅了されそうなゴシックロックの名作」と評している[8]。一方、レイノルズはアリス・クーパーの芝居がかった言動やブラックユーモアといった観点から「罪深きゴスのゴッドファーザー」と評している[5]。
ニコが1969年に発表したアルバム『マーブル・インデックス』は、史上初のゴス音楽のアルバムだとみなされることがある[9] 。
荒涼とした音と陰鬱な歌詞、そしてニコの見た目が著しく変わったことと相まって、このアルバムは彼女の代表作の一つとなり、ゴシック・ロック・ムーブメントの視覚的なプロトタイプの一つとなった[10][11] 。
ゴシック・ロックにおいてドローンが多用されるのはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響によるものであるほか、深くドラマティックな歌い方はデヴィッド・ボウイに由来するものである(ただし、ボウイはより低いピッチで歌うこともあった)[3]。
初期のゴシック・ロック・グループの歌詞が小説家J・G・バラードの作品群から影響を受けていた一方、ザ・バースデイ・パーティの歌詞は アルチュール・ランボーや シャルル・ボードレールといった文学作品からの影響をうけていた[12]。
1976年、愛と伴侶を求める陰鬱な吸血鬼を主人公とする小説『夜明けのヴァンパイア』がアン・ライスによって発表された。デイブ・トンプソン(英語版)によると、この本の存在は口コミでゴシック・ロックのファンたちに広まっていったとされている。同じ年にデビューを果たしたパンク・バンドであるダムドのボーカルは元墓堀人のデイヴ・ヴァニアンであり、彼は吸血鬼のような衣装を着てステージに立っていた。当時ギタリストを務めていたブライアン・ジェイムスは、「ほかのバンドは安全ピンやボンデージのズボンを身に着けたり唾を吐くことが多かったけど、ダムドは地元の墓地を半分借りてそれをバックに歌うんだ」と述べている[13]。 マイナー・キーや暗い曲調が一般的だが、メジャー・キーも使われている。 クリーン系や、暖かなオーバードライブのかかったギターサウンドはコーラスやフランジャー、アナログを用いたディレイによって生み出された。また、ゴシック・ロックにおけるエレキ・ギターの音は個性的な奏法になっている。この奏法は、パンク・ロックにおけるダウンストロークからきていて、濃厚な和音の代わりに、尖ったメロディーラインを強調するのに役立っている。 初期のゴシック・ロックバンドの多くはイギリス出身だが、Christian Death ゴシック・ロックは、パンク・ロックやポスト・パンク、ニューウェイヴから派生していった。ゴスという単語がシーンをあらわすのに使われ始めたのは、1983年になってからである。1970年代後半や1980年代のいくつかのゴシック・ロックバンドは、自分でレーベルを持ち、インディーズからCDを発表していった(例:ベガーズ・バンケット・レコード)。 1979年にゴシックと呼ばれたポスト・パンクのグループは、ジョイ・ディヴィジョン[14]とスージー・アンド・ザ・バンシーズだった。 スージー・アンド・ザ・バンシーズのデビュー・アルバム『香港庭園』から『ノクターン』までの作品や、イアン・カーティスの自殺によって短命に終わったジョイ・ディヴィジョンの『アンノウン・プレジャーズ』、『クローサー』はゴス・シーンに影響を与えた。 また、バウハウス(当初、バウハウス1919と呼ばれていた)やザ・キュアー、キリング・ジョーク、パブリック・イメージ・リミテッドもまたゴス・シーンに影響を与えた。2006年のバウハウスのコンサート バウハウスは当初、無地のジーパンにTシャツといったファッションだったが、Gloria Mundi
音楽スタイル
歴史
第1世代(1979?1985)
イギリス