ゴア・ヴィダル
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ゴア・ヴィダル, 2009.

ゴア・ヴィダル(Gore Vidal、1925年10月3日 - 2012年7月31日)は、アメリカ小説家劇作家評論家脚本家俳優政治活動家。本名はユージーン・ルーサー・ゴア・ヴィダル (Eugene Luther Gore Vidal) 。
人物

アメリカ文学史上初めて同性愛を肯定的に扱った小説『都市と柱(The City and the Pillar)』、二十世紀の奇書と呼ばれる『マイラ(Myra Breckinridge)』、アメリカ史をテーマにした歴史小説七部作、機知に満ち溢れた数々の評論、常に挑発的な言動、アナーキーな政治活動で知られた。バイセクシュアルとしても知られており、1950年よりハワード・オースティンと交際していた。
来歴

彼はニューヨーク州ウェストポイントでユージーン・ルーサー・ヴィダルとして、ユージーン・ヴィダルおよびニーナ・ゴア夫妻の間に生まれた。彼の父親は航空学の教官であり、彼はアメリカ陸軍士官学校で生まれた。ヴィダルはその後母方の祖父、トマス・P・ゴア(オクラホマ州選出民主党上院議員)の姓をその名に加えた。

ヴィダルはワシントンD.C.で成長し、セント・オールバンズ・スクールに入学した。彼の祖父ゴアは盲目であり、幼いヴィダルはしばしば祖父のために読み聞かせやガイドを行った。そのため子どもにとっては不釣り合いな政治権力中心への頻繁な接触があった。上院議員ゴアの孤立主義はヴィダルの政治哲学を導く確信の一つであった。ヴィダルがアメリカ帝国主義に一貫して批判的であり続けるのはこの祖父の影響が大きい。

ヴィダルはフィリップス・エクセター・アカデミーを卒業した後、1943年にアメリカ陸軍の予備役となった。

2012年7月31日、肺炎による合併症のため、カリフォルニア州ロサンゼルス近郊の自宅で死去[1]。86歳没。
執筆生活
小説・演劇・映画脚本ゴア・ヴィダル、カール・ヴァン・ヴェクテンによる撮影。1948年

ニューズウィークのある批評家は「エドマンド・ウィルソン以来最良の万能の作家」とヴィダルを評した。彼は21歳でアラスカ州での軍務経験を元にした最初の小説Williwawを出版した。2年後に発表された同性愛をテーマにした『都市と柱(The City and the Pillar)』は論争を引き起こした。アメリカ国内では「背徳の書」「反アメリカ的」とまで罵倒され、ヴィダルはニューヨーク・タイムズにそれ以降出版した本の書評を拒絶される羽目にまで陥った。しかし、海外のゲイ作家達、トーマス・マンアンドレ・ジッドE・M・フォースタークリストファー・イシャーウッドらがこの小説の先見性と見事な青春小説としての側面を評価し、弁護に立ち上がった。以後、ヴィダルの小説は、アメリカよりもイギリスを中心にヨーロッパの批評家達に認められていくこととなる。同書は「J.T.」に捧げられていたが、「J.T.」とは誰かという噂が広まり、ヴィダルは結局それを明らかにせざるを得なかった。「J.T.」はセント・オールバンズ・スクールの同級生ジミー・トリンブルであった。トリンブルは1945年6月1日に硫黄島の戦いで戦死し、ヴィダルは後に回想録Palimpsest(1995) で自分が精神的にも肉体的にも愛した人はトリンブル一人だけだったと告白した。ヴィダルは1965年に本作を改訂し、表現を簡潔にするとともに結末を含む削除・加筆を行っている。

その後、ヴィダルは初期の作品に見られるヘミングウェイの影響から脱しようと試行錯誤を重ね、ピカレスク小説The Judgment of Paris (1953) で、今に至るまでのアメリカ的というよりはイギリス文学の影響の色濃いヴィダル特有の文体を確立した。批評的にも認められはしたものの、『都市と柱』で被った悪名は彼の小説の売れ行きに影を落とし続けたため、財政状態は悪化の一途を辿った。人民寺院事件を予言したとして後に再評価されることとなる、架空のカルト宗教を描いたMessiah (1955) が全く無視された結果、この作品を最後にヴィダルは10年間、小説の筆を折ってしまう。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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