ゴア・ヴィダル(Gore Vidal、1925年10月3日 - 2012年7月31日)は、アメリカの小説家、劇作家、評論家、脚本家、俳優、政治活動家。本名はユージーン・ルーサー・ゴア・ヴィダル (Eugene Luther Gore Vidal) 。 アメリカ文学史上初めて同性愛を肯定的に扱った小説『都市と柱 彼はニューヨーク州ウェストポイントでユージーン・ルーサー・ヴィダルとして、ユージーン・ヴィダルおよびニーナ・ゴア夫妻の間に生まれた。彼の父親は航空学の教官であり、彼はアメリカ陸軍士官学校で生まれた。ヴィダルはその後母方の祖父、トマス・P・ゴア(オクラホマ州選出民主党上院議員)の姓をその名に加えた。 ヴィダルはワシントンD.C.で成長し、セント・オールバンズ・スクールに入学した。彼の祖父ゴアは盲目であり、幼いヴィダルはしばしば祖父のために読み聞かせやガイドを行った。そのため子どもにとっては不釣り合いな政治権力中心への頻繁な接触があった。上院議員ゴアの孤立主義はヴィダルの政治哲学を導く確信の一つであった。ヴィダルがアメリカ帝国主義に一貫して批判的であり続けるのはこの祖父の影響が大きい。 ヴィダルはフィリップス・エクセター・アカデミーを卒業した後、1943年にアメリカ陸軍の予備役となった。 2012年7月31日、肺炎による合併症のため、カリフォルニア州ロサンゼルス近郊の自宅で死去[1]。86歳没。 ニューズウィークのある批評家は「エドマンド・ウィルソン以来最良の万能の作家」とヴィダルを評した。彼は21歳でアラスカ州での軍務経験を元にした最初の小説Williwawを出版した。2年後に発表された同性愛をテーマにした『都市と柱
人物
来歴
執筆生活
小説・演劇・映画脚本ゴア・ヴィダル、カール・ヴァン・ヴェクテンによる撮影。1948年
その後、ヴィダルは初期の作品に見られるヘミングウェイの影響から脱しようと試行錯誤を重ね、ピカレスク小説The Judgment of Paris (1953) で、今に至るまでのアメリカ的というよりはイギリス文学の影響の色濃いヴィダル特有の文体を確立した。批評的にも認められはしたものの、『都市と柱』で被った悪名は彼の小説の売れ行きに影を落とし続けたため、財政状態は悪化の一途を辿った。人民寺院事件を予言したとして後に再評価されることとなる、架空のカルト宗教を描いたMessiah (1955) が全く無視された結果、この作品を最後にヴィダルは10年間、小説の筆を折ってしまう。破産寸前まで追い込まれたヴィダルは、脚本作家として演劇、映画、テレビドラマに取り組んだ。彼の作品『ある小惑星への訪問(Visit to a Small Planet)』 (1957) The Best Man(1960) はブロードウェイでのヒット作となり、『ある小惑星への訪問』はジェリー・ルイス主演で『底抜け宇宙旅行(Visit to a Small Planet)』として、The Best Manはヘンリー・フォンダ主演で映画化された。
ヴィダルは1950年代の初めにはエドガー・ボックス (Edgar Box) のペンネームを使用して、探偵小説「ピーター・サージェント」シリーズ三作を執筆した。ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーの後継者と賞賛され、ハードボイルドとユーモアを絶妙に組み合わせたこのシリーズはベストセラーとなった。日本でも三作目にあたる『死は熱いのがお好き(Death Likes It Hot)』 (1954) が翻訳されている。しかし、ヴィダル自身は変名による成功を潔しとせず、「全て1作あたり8日で書き飛ばしたものだ」として、近年までエドガー・ボックス名義の作品を全て絶版にしていた(2011年にゴア・ヴィダル名義で復刊)。
ヴィダルは1956年に専属作家としてメトロ・ゴールドウィン・メイヤーと契約する。1959年にはウィリアム・ワイラーが、カール・タンバーグによって書かれた『ベン・ハー』の脚本の完成を必要とした。