コー・ケー
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コー・ケー: 古代リンガプラもしくはチョック・ガルギャーの考古遺跡
カンボジア

プラサット・プラン
英名Koh Ker: Archaeological Site of Ancient Lingapura or Chok Gargyar
仏名Koh Ker: site archeologique de l’ancienne Lingapura ou Chok Gargyar
面積1,187.61 ha (11.9 km2)
緩衝地帯 3,523.77 ha (35.2 km2)
登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2023年
第45回世界遺産委員会
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図
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コー・ケー遺跡群の主要部概略図

コー・ケー(Koh Ker、クメール語: ??????[注 1])は、カンボジアプリアヴィヒア州にある考古遺跡[6]アンコール朝期に建てられ、一時的に首都とされた[7]。当時の古クメール語(英語版)による名称はチョック・ガルギャー。サンスクリット語の名称はリンガプラ[8]2023年ユネスコ (UNESCO) の世界遺産に登録された。
概要

10世紀前半、アンコール時代(9世紀初頭-15世紀前半)の王ジャヤーヴァルマン4世(英語版)(在位921928〉-941年[9][10])によってチョック・ガルギャー(チョック・ガルギャール、Chok Gargyar[11]〈Ch’ok Gargyar〉[4])が建てられた。チョック・ガルギャーの「チョック」は「池」の意で、「ガルギャー」はクメール語で「コーキー (Koki)[12]」という木(タキアン、学名 Hopea odorata)とされ[13]、「コーキー(タキアン)の木立(英語版)」(: the grove of Hopea odorata)を意味するともいわれる[14]。コー・ケーの名称は、この古代名のガルギャーに由来するものと考えられる[13]。また、サンスクリット語によるリンガプラ (Lingapura) は、「リンガ(英語版)の都市」(: the city of linga[14]〈プラ[15]は「都市」の意[16]〉)すなわち神シヴァの本拠を意味する[17]

コー・ケーの新都は、それまでの都(都城[18][19])ヤショーダラプラ(英語版)(アンコール地域)の北東約100キロメートルに位置する[20]。ジャヤーヴァルマン4世とその息子ハルシャヴァルマン2世(英語版)(在位941-944年[21])の治世までは王都であったが、944年に従兄弟(いとこ)のラージェンドラヴァルマン2世(英語版)(在位944-968年)に王位を奪われ、10世紀半ばに再びヤショーダラプラの地に都が戻された[22]

ジャヤーヴァルマン4世のコー・ケーにおける統治約20年のうちに[23]、巨大な貯水池(バライ)とともに都城が造成されていった。バライ周辺に多くの寺院が点在するなど、60基ほどの建造物が認められる[24][注 2]。中心複合寺院プラサット・トム (Prasat Thom) の西側にコー・ケーを象徴する高さ35メートルの7段ピラミッド型寺院プラサット・プラン (Prasat Prang〈プラ・プラン[27]、Pr. Prang〉、プラン[28]: The Prang) がある[29]。かつて頂部には金色の大リンガが屹立したといわれる[30]。また、プラサット・リンガ (Prasat Linga) と呼ばれる寺院など巨石リンガ(リンガとヨニ(英語版)、Linga-yoni)を納めた祠堂がある[31]
歴史ジャヤーヴァルマン4世(英語版)(王の形象)坐像(高さ1.33m、プラサット・トム第2塔門より)ギメ東洋美術館[32]

アンコール地域に王都ヤショーダラプラ(英語版)を造営したヤショーヴァルマン1世(在位889-910年[33][34])が亡くなると[18]、息子のハルシャヴァルマン1世(英語版)(在位910-923年[33]922年[10][35])とその弟のイーシャーナヴァルマン2世(英語版)(在位923〈922年頃[10]〉-928年[33][35])が継承した。しかし921年には、おじでヤショーヴァルマン1世の義兄弟(妹の夫)のジャヤーヴァルマン4世(英語版)が[10][36]、コー・ケーに新都チョック・ガルギャーを造営して統治した[4]。921年の碑文によれば、ジャヤーヴァルマン4世はヤショーダラプラの都城を出て、チョック・ガルギヤーを統治する際にデーヴァラージャ[37]「神王のリンガ[注 3]」を移したといわれる[10]。そして一時政権は競合したが、イーシャーナヴァルマン2世が死去したことで、ジャヤーヴァルマン4世は正統な王位に就いた[39]

コー・ケー地域はジャヤーヴァルマン4世の出身地であったともいわれ[40]、また、都市の存在はより時代をさかのぼるとも考えられるが、一般にジャヤーヴァルマン4世の治世の20年余りのうちに造成され[41]、数多くの寺院や祠堂が絶大な勢力のもとに建設されたといわれる。そして921年に神王(王のリンガ)である「トリブヴァネシュヴァラ」(Tribhuvane?vara、三界の主[注 4])がコー・ケーの新都に創設され、碑文に「三界の主の強力な本拠である都城を富裕の力で構築した」と記される[42]


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