コーンウォール語
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コーンウォール語

Kernowek, Kernewek
話される国
イギリス
地域 コーンウォール
話者数1万人以下
言語系統インド・ヨーロッパ語族

ケルト語派

島嶼ケルト語

ブリタニック語

コーンウォール語




表記体系ラテン文字
公的地位
少数言語として
承認 イギリス
統制機関Cornish Language Partnership
言語コード
ISO 639-1kw
ISO 639-2cor
ISO 639-3cor
消滅危険度評価
Critically endangered (Moseley 2010)
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ケルノウ語(ケルノウご、Kernowek, Kernewek)またはコーンウォール語(コーンウォールご、英語: Cornish, Cornish language)は、インド・ヨーロッパ語族ケルト語派に属する言語で、主にイングランドコーンウォール地方に住むコーンウォール人の間で使われてきた。一時、断絶の危機を迎えていたが、近年のイギリス政府によって復活・保存が進められている。日本では英語由来のコーンウォール語という名称で知られるが、近年原語由来の名称であるケルノウ語の表記もされるようになっている[1]

1904年のヘンリー・ジェンナー(英語版)による『A Handbook of the Cornish Language』の出版がコーンウォール語復興運動の開始点であるとしばしば見なされている。コーンウォール語は2002年にヨーロッパ地方言語・少数言語憲章の下でイギリス政府に認められた。
歴史

原始コーンウォール語はサマセットドーセットデヴォンコーンウォールが577年のデオルハムの戦いの後に、西ブリトン(のちのウェールズ)から分断された後に生じた言語である。イングランド王国以前はヘプターキー(七王国)と呼ばれる7つのアングロ=サクソン系王国で構成されていたが、そのうちのウェセックスがその後数世紀にわたって拡大し続け、南西ブリトンの支配地域は次第に縮小していった。930年頃、コーンウォールはサクソン系のアセルスタン王によって滅ぼされた。しかしその後もコーンウォール語は繁栄を続け、最盛期の13世紀には3万9000人(海洋学者ケン・ジョージによる概算)がこの言語を使用していたとみられる。ウェールズの自然学者、植物学者であり言語学者であったエドワード・ルイド(1660年 - 1709年)は1702年の著書で中世のコーンウォール語には多くの格があり、初期の近現代コーンウォール語にも見られる属格奪格処格だけではなく、与格対格呼格までも有していたと論じているが、これを示す史料は現在ほとんどない。

コーンウォール語についての初期の記録は、ボエティウスラテン語で書いた『哲学の慰め』の祈祷原書の注釈の中に見られる。その注釈された語というのは“ud rocashaas”で、意味は「心は陰鬱な処を忌む」だといわれる。1549年、市民による祈祷書反乱(英語版)が勃発した。この反乱は、ラテン語の祈祷書をプロテスタントの教義を反映した英語の祈祷書へと切り替える「統一法(英語版)」が議会で可決された際に市民が蜂起したものである。この時点では、コーンウォールの多くの地域の人々は英語を話すことができないか、もしくは聞いて理解することもできなかった。この統一法は、立法者たちがラテン語による祈祷から英語での祈祷への切り替えを促したものであり、ラテン語の使用を禁止する一方で、英語の使用を強制することを目的として立法されたものである。

コーンウォール地方で英語を使うか否か、新しい言語の導入が市民の生命にまでかかわる問題となった。すなわち、英語の使用を強制したことに反抗した4000人以上の市民は、軍隊により虐殺された。先頭に立った市民らは死刑になり、そのほかの市民も多くの報復行為を被った。

反乱派の要求文はかつての礼拝形式を取り戻したいと主張しており、「我々(一部は英語を理解しないところの)コーンウォール人は断固としてこの新たなる英語を拒絶する」との一文で締めくくられている。これに対し、サマセット公エドワード・シーモアは、理解できないという点ではラテン語も同じであったのに、なぜ英語での礼拝だけを拒むのか質問した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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