「コールド・ターキー」
プラスティック・オノ・バンド の シングル
初出アルバム『シェイヴド・フィッシュ?ジョン・レノンの軌跡』
B面京子ちゃん心配しないで
(Don't Worry Kyoko (Mummy's Only Looking for a Hand in the Snow))
リリース 1969年10月20日
1969年10月24日
1970年1月10日
規格7インチシングル
録音1969年9月30日
EMIレコーディング・スタジオ
ジャンルハードロック[1]
ブルースロック[2][3]
時間4分59秒
レーベルアップル
作詞・作曲ジョン・レノン
プロデュースジョン・レノン
オノ・ヨーコ
チャート最高順位
14位(全英シングル・チャート)[4]
30位(ビルボード Pop Singles)[5]
39位(Dutch Top 40)[6]
プラスティック・オノ・バンド シングル 年表
平和を我等に
(1969年)冷たい七面鳥(コールド・ターキー)
(1969年)インスタント・カーマ
(1970年)
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「コールド・ターキー」(英語: Cold Turkey、邦題:冷たい七面鳥)は、1969年にジョン・レノン率いるプラスティック・オノ・バンドの第2弾シングルとして発表された曲である。作詞作曲のクレジットが初めて『ジョン・レノン』になった[注釈 1]。 原題の直訳は邦題の通り「冷たい七面鳥」だが、原題にはスラングで「(ヘロインなど薬物中毒の)禁断症状」 といった意味もある。レノンのアシスタントだったピーター・ブラウン
概要
一方、1970年代後半にレノンの秘書を担当していたフレッド・シーマン(Frederic Seaman)[8]はブラウンの説を否定し、レノンとヨーコがクリスマスでの食べ残しを「禁断症状」で食べて重度の食中毒を患ったことをテーマにしたとレノンから打ち明けられたという[7]。シーマンの1991年の著書では、レノンは真実の経緯を話すと笑われると考えて、制作のきっかけをヘロインの禁断症状に変えたとされている[9]。
レノンは本曲をビートルズの楽曲にしようと考え、アルバム『アビイ・ロード』制作後、メンバーに提案したが全員に「冗談じゃない」と反対されたため[10]、プラスティック・オノ・バンドの楽曲として発表せざるを得なかったと語っている[7]。レノン以外の3人は本曲をドラッグ・ソングと解釈し、ビートルズ名義の発表に反対したとみられている。
1969年9月13日、レノンとヨーコはエリック・クラプトンらとプラスティック・オノ・バンドを結成して、カナダのトロントで開催された『トロント・ロックンロール・リバイバル(英語版)』に出演して、発表前の本曲を披露した。約2週間後の9月30日、ロンドンのEMIレコーディング・スタジオ第2スタジオで、クラプトンやリンゴ・スターが参加したレコーディングが行われ、50テイク以上が繰り返された末に終了した[10][11][注釈 2]。
10月下旬にシングル発表。B面収録曲はオノ・ヨーコ作「ドント・ウォーリー・キョーコ」(邦題「京子ちゃん心配しないで」)。英米ではビートルズのメンバーと同様に本曲をドラッグ・ソングであると解釈する向きが多く、BBC等の放送局で放送禁止曲に指定されたが、全英シングル・チャートの最高位が14位を記録するヒットになった。同年11月25日、レノンは声明を発表し、本曲のチャート順位が下がりつつある事を理由の一つに挙げて、MBE勲章をイギリス王室に返上したことを明らかにした。 イギリス盤とアメリカ盤のジャケットの表裏には、レノンとヨーコの頭部のレントゲン写真[注釈 3]が使用された[12]。ヨーロッパの数か国では二人のレントゲン写真を横に並べているスリーブが発行された[13]。1970年1月に発売された日本盤では二人のレントゲン写真の間にカラーの肖像写真が挿入された[14]。 Chart (1969)Peak
アートワーク
クレジット
ジョン・レノン- リード・ボーカル、バッキング・ボーカル、リードギター、リズムギター
エリック・クラプトン - リードギター
クラウス・フォアマン - ベース
リンゴ・スター - ドラムス
チャートパフォーマンス
position
Canadian RPM Singles Chart
Dutch Top 40[16]39
UK Singles Chart[17]14
Chart (1970)Peak
position
US Billboard Pop Singles[18]30
US Cashbox Top 100[19]32
収録アルバム