コーポラティブハウス
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コーポラティブ住宅「経堂の杜」(世田谷区)コーポラティブ住宅「エコヴィレッジ鶴川」(町田市)コーポラティブ住宅「埴の丘」(町田市)

コーポラティブハウスとは、入居希望者が集まり組合を結成し、その組合が事業主となって、土地取得から設計者や建設業者の手配まで、建設行為の全てを行う集合住宅のことである[注釈 1]。コーポラティブ住宅、コープ住宅とも呼ばれる。

なお「コーポラティブハウス」は和製英語で、英語ではBuilding co-operativesと呼ばれる。
歴史

もともとは18世紀の社会主義者ロバート・オウエンが自ら経営するスコットランド、ニュー・ラナークの繊維工場の傍らに始めた協同組合に端を発する。産業革命のさなか、労働者が資本家に対抗して、生活物資の共同購入から住宅建設、幼稚園運営などを行った事例である。「コーポラティブで街をつくる」という発想で、アメリカでニュー・ハーモニー・コミュニティを建設しようとしたが、これは失敗に終わった。

こうしたコーポラティブハウジングの試みが、紆余曲折を経てドイツや北欧、そして北米に広がっていった。こうして今では、ノルウェーの全国の住宅の15%、オスロ市では40%、450万人がコーポラティブに居住する。スウェーデンでは50万人。ドイツは650万戸に1500万人と、その割合は全住宅の17%、アパートの30%を占めている。カナダでは、9万戸、15万人とがコーポラティブに居住している。アメリカでも既存の賃貸アパートからのコンバートを主にコーポラティブハウジングが普及し、ニューヨークでは全住宅の20%を占める。その中には、ジョン・レノンが生前に居住した30世帯からなるダコタ・ハウスも含まれている。

日本でも、1921年に住宅組合法が制定され、以来、約3万5,000戸の住宅がつくられた。しかし実際には一戸建てが多く、1950年に住宅金融公庫が設立されて、個人に直接持ち家向け融資を展開したために、住宅組合法はその意義を失って1972年に廃止されている。一方、1948年に消費生活協同組合法が制定され、1954年に労働金庫、1958年に財団法人日本労働者住宅協会(1967年に日本勤労者住宅協会に改組)が発足し、それらの協力で1975年までに約6万5,000戸の住宅が供給された。現在は、主に民間のプロデュース会社によって、大都市圏を中心にコーポラティブがつくられている[1]

近年では、コーポラティブハウスは都市再生の手段とて活用されている。ドイツ・ハンブルグ市では専門部署を設置し、広報や補助金等の支援の下に、中心市街地の遊休市有地等に1990-2012年の間に79件1,735戸のコーポラティブハウスを成立させている。[2]フライブルグ市は、ヴォーバン住宅地の区画はコーポラティブハウスに優先して販売して、結果的に7割を占めている。ディベロッパーには買い手のつかない難しい土地のみとした。目的は、ディベロッパーの利益分を省き、多様な社会層と低層の建物をモザイク状に取り込むことであった。[3]
利点

組合が直接に建築家を選んで依頼できるため、先々を見通して構造躯体や設備配管も設計され、ライフステージやライフスタイルが代わっても暮らしを支えられるような質の高い空間を生むことができる。場所ごとの特徴に応じて一つ一つ建築家が設計を手がけることによって、その街並みに応じた優れた建築にもなりうる。

分譲マンションや建売住宅では、不動産会社には売れ残りリスクがあり、これをカバーするために販売経費やマージンが必要になるために、販売価格に対して原価率は6 - 70%とされる。コーポラティブでは、組合が発足してから事業が着手されるので売れ残りリスクがなく、余分な経費やマージンを省くことができる。

土地取得から設計、施工と組合事業を進める過程で、居住者相互の理解とコミュニケーションが促され、入居後のほどよい近隣関係が築かれやすい。分譲マンションと違って、数戸から数十戸の規模なので管理組合でも合意形成がしやすいため、将来の大規模修繕等にも対応しやすい。お互いが顔見知りという関係は、下見に来た泥棒を注視・注意できるため、防犯上でも最も有効とされる
[4]

入居予定者たちがそのまま依頼者であるため、長期的に資産価値を保ち、補修・修繕に余計な費用がかからない仕様が選択される。このため転売されたときも売却価格は取得時の費用とほとんど変わらない。[5]

欠点

組合への参加を決定してから、竣工・引渡しまでに2年程度の期間を要する。

分譲マンションや建売住宅といった既製品を購入するのに比べると、事業運営において組合の会合に参加し、専有部分の内装設計の打ち合わせを重ねるといった手間隙がかかる
[6]

物件を転売する際に、仲介業者によっては割安の査定価格がつけられることがある。

主なプロデュース会社

建築についての考え方に応じて、主要各社それぞれの方式をとっている。マンション型、タウンハウス型などの建築類型と規模性、プロデュース専業ないし設計兼務の業務範囲、個別仕様による基本計画見直しの度合、などに各社の特色が現れている。
都市住宅を自分達の手で創る会(都住創)

1975 - 2002年の間に、主に大阪市中央区の谷町界隈にて累計22棟、約250戸のコーポラティブハウスを手がけた。

プロデュースと設計監理は、
設計事務所ヘキサの建築家・安原秀と中筋修が担った。

当初から一貫して「都市に住む」「住居の質を高める」「共同建設をする」という考え方で共同住宅の新しいビルディングタイプを試行錯誤しながら開発し続けてきた。それらの考え方は「都心部の一番いいところに住もう。・・・子供が働いている大人の姿を見ながら育つのがいいんじゃないか」「いわゆる2DKとか3LDKとかいう言い方のお粗末な集合住宅ではなく、むしろ建築家が設計する一戸建ての住宅を縦にいっぱい積んだようなものができへんやろか」「共同で発注しましょう。10軒か20軒集まって発注すれば、何ぼかでもコストは下がるのではないか」という発言にも現れている[7]

設計手法としては、ルーズなジグソーパズルと語っている。「設計側が提案するいくつかのパターンに様々なニーズの形をした探知をはめこむ試行錯誤からスタートする。それを全員参加でビールを片手にゲームのように始めるのである。単位としてのニーズはその途上自ら少し変身し、全体のパターンも変形していく」[8]

入居後のコミュニティについては「建物ができていっしょに住むようになれば、・・・住民主導になって、リーダー的な人も登場してくる。そうやってひとつの町のような組織がコーポラティブハウスの中にできてくるんです。それがコーポラティブハウスのおもしろさだと思います」[9]

1987年、一連のコーポラティブによって、小島孜と中筋修、安原秀の連名で第39回日本建築学会賞を受賞した。

都市デザインシステム(現:UDS株式会社)コーポラティブハウス「CO-OPERA」設計:邑計画工房 コーディネート:都市デザインシステム


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