紋章地図
基本情報
連邦州:バイエルン州
行政管区:オーバーフランケン行政管区
郡:郡独立市
40,955人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:848 人/km2
郵便番号:96450
市外局番:09561
ナンバープレート:CO, NEC
自治体コード:
09 4 63 000
行政庁舎の住所:Markt 1
96450 Coburg
ウェブサイト:coburg.de
首長:ドミニク・ザウアータイク (Dominik Sauerteig)
州内の位置
地図
コーブルク(Coburg)は、ドイツ、バイエルン州北部オーバーフランケン行政管区の都市。郡に属さない独立市であると同時に、同名の郡の郡庁所在地でもある。
1918年までこの街は、ザクセン=コーブルク=ゴータ公の宮廷所在地であったが、今日では、地元の保険グループHUK-コーブルクの本拠として知られている。コーブルクの高台にはドイツで2番目に大きな城(砦)であり、「フランケンの王冠」とも呼ばれるフェステ・コーブルク(英語版)(コーブルク城塞)がそびえる。 この街はテューリンゲンの森の南縁、ランゲ山地のマイン川の渓谷に位置し、街をイッツ川が貫いて流れる。市内ハイリッヒクロイツキルヒェにはラウターバッハ川の河口がある。この川は単にラウターと呼ばれ、ノイゼス地区でズルツバッハ川と合流し、コーブルクでロッテンバッハ川に注ぎ、さらにイッツ川に合流する。コーブルク市内のイッツ川の流域面積は約364km2で、1986年に洪水防止の水量調整湖フロシュグルントゼー湖が建設されるまで、この街はたびたび大洪水に見舞われた。特に低い位置にある駅付近は洪水に悩まされていた。コーブルク市内のイッツ川が堤防を越えたのは2003年が最後だが、さらに洪水防止用調整湖ゴルトベルクゼー湖がズルツバッハ川とラウターバッハ川に2010年に建設された。近隣の大きな都市としては、直線距離で80km北にエアフルト、90km南西にヴュルツブルク、90km南にニュルンベルクが位置している。マルクト広場の標高は296m、フェステの標高は451mである。 コーブルクは、13の地区からなっている。各地区の2011年現在の面積と人口とを表で示す。 地区名面積 km2人口人口密度 人/km2 人口の2/3がイッツ川流域の市中心部に住んでいる。特に周辺外側に位置するレーゲンやノイ・ウント・ネーアスホフは村の様相が色濃い。 コーブルク郡に属する以下の市町村がコーブルク市を囲んでいる。北から時計回りに、ラウタータール、デルフレス=エスバッハ、レーデンタール、エーバースドルフ・バイ・コーブルク、グルプ・アム・フォルスト、ニーダーフュルバッハ、ウンタージーマウ、アホルン、ヴァイトラムスドルフ、メーダー。 コーブルクの気候は、南のマイン川上流域と北のテューリンゲンの森の中間に位置することで特徴づけられる。さらに峡谷型の地形にも影響されている。夏期は比較的温暖だが、冬は近くのテューリンゲンの森のために冷え込む。年間平均気温は8℃だが、1月の日中平均気温は-1.4℃、7月のそれは17.2℃である。平均で真夏日が5日、夏日が36日、真冬日は28日である。年間の平均降水量は747mmで、どの月もほぼ同じ位の降水量である。最も多いのは6月の82mmと12月の73mmである。1.0mmを越える降水があるのはそれぞれ平均3日であるが、最高では24時間に57.6mmの降水があったこともある。 コーブルクが史料上に現れるのは1056年のポーランド王太后リヘザから大司教アンノ・フォン・ケルンへの贈与証書が初めてである。1331年、コーブルクは都市権と裁判権を皇帝ルートヴィヒ・デア・バイエルンから授けられた。22年後の1353年、マイセンのフリードリヒ3世がマイセン辺境伯を相続し、これと同時に、コーブルクの領主権はヘンネベルク 1485年、コーブルクはエルネスティン家のライプツィヒ領に属することになった。
地理
市の構成
コーブルク(中核部)13.9125,8411,858
バイアースドルフ7.311,487203
バーテルスドルフ・ウント・グレント4.001,601400
コルテンドルフ1.651,500909
クライドリッツ2.301,707742
ケッチェンドルフ1.791,635913
リュッツェルブーフ・ウント・レーベルシュタイン1.00420420
ノイ・ウント・ネーアスホフ2.51254101
ノイゼス2.741,644600
レーゲン3.05368121
ショイエルフェルト4.832,291474
ザイトマンスドルフ1.98667337
ヴュシュテーナホルン1.231,7051,386
総計48.341,120851
隣接する市町村
気候
歴史