紋章地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州:バイエルン州
行政管区:オーバーフランケン行政管区
郡庁所在地:コーブルク
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯50度16分12秒 東経10度56分24秒 / 北緯50.27000度 東経10.94000度 / 50.27000; 10.94000
86,571人(2020年12月31日現在)[1]
人口密度:147 人/km2
ナンバープレート:CO, NEC
自治体コード:
09 4 73
郡の構成:17 市町村
行政庁舎の住所:Lauterer Str. 60
96450 Coburg
ウェブサイト: ⇒www.landkreis-coburg.de
郡長:ゼバスティアン・シュトラウベル (Sebastian Straubel)
州内の位置
地図
コーブルク郡 (ドイツ語: Landkreis Coburg) は、ドイツ、バイエルン州オーバーフランケン行政管区の北西部に位置する。近隣に位置する郡は、北にテューリンゲン州のヒルトブルクハウゼン郡およびゾンネベルク郡、東にクローナハ郡、南にリヒテンフェルス郡およびバンベルク郡、西にハースベルゲ郡がある。郡独立都市コーブルクは、コーブルク郡の郡庁所在地である。目次 北西部の郡境は、主に農地として利用されている緩やかな起伏の高原(海抜300 ? 500m)から成る。郡の北部は、テューリンゲンの森の山麓部に属し、すでに中低山地の様相を呈している。ここでは広大な広葉樹林の中に開墾地が点在している。この両者の間に、石灰質のランゲ山地があり、その僅かな耕作地を針葉樹林が覆っている。南部は、フランケン地方イッツ=ヒューゲルラント(海抜250 ? 300m)に属するリアス紀 コーブルク郡の工業化は、極めて早い時期に興った。コーブルクはバイエルンで最も古い工業地域の一つである。今日でもコーブルク周辺地域は、ドイツで最も頑健な工業地域であり(人口1000人あたりの工業従事者数は280人)、特に中小企業での生産が多い。 産業構造は、特に、古くからの工業が主である。
1 地理
2 経済
3 交通
4 歴史
5 住民
6 紋章
7 コーブルク郡の見所
8 市と自治体
9 引用
10 外部リンク
地理
経済
布張りあるいは革張りの家具や木材加工業(布張り・革張り家具の生産では、ドイツ連邦全体の1/3を占める)
玩具製造やクリスマスツリーの装飾製造
籠や乳母車といった籐製品
陶磁器産業(陶磁器の食器や工業用セラミック)
この他に電子技術産業もある。
ドイツの再統一後は、周辺地域振興策が廃止され、EUの東方への拡大や経済危機に対抗する強化策として、産業の構造変化が起こり、多くの職場や企業が犠牲となった。こうした経過の結果、失業率は1980年代には約3%であったのが、2003年11月には10.5%に悪化した。
交通 コーブルク周辺の鉄道路線図。黒の実線は現役路線。破線が廃止線。紫の破線は計画高速路線。
ヴェラ鉄道会社が、ザクセン=コーブルク=ゴータ公国を事業共同社として開業したのは1858年で、最初の路線ヴェラ線はアイゼナハからマイニンゲン ? アイスフェルト[要曖昧さ回避]を経由してコーブルクまでを結んでいた。2番目の路線は北に延びて、コーブルクとゾンネベルクとを結んだ。
リヒテンフェルスへの路線は、バイエルン王国と共同で1859年に建造された。1892年に最初のローカル路線としてコーブルク ‐ バート・ローダッハが開通した。
この他の近距離鉄道として、プロイセン国立鉄道があった。1900年にクライトリッツで分岐してロサッハへ行くイッツグルント線が、1901年にエーバースドルフで分岐してヴァイトハウゼンへ行くシュタイナハタール線がそれぞれ開通した。これらは、1920年にドイツ帝国鉄道として、ノイシュタットでコーブルク ‐ ゾンネベルク線に接続する環状線となった。
バイエルン国立鉄道が、1913年に開設したバンベルク ‐ ディエタースドルフ路線は、ゼスラハおよび郡西部の自治体を通っている。
全長105kmあった鉄道網(このうち18kmはコーブルク市内)のうち、現在旅客輸送を行っているのはわずか半分(50km)である。廃止された路線(55km)は以下の通り。
1945年:フュルト・アム・ベルク ‐ ホイビシュ=ムッペルク ‐ ノイシュタット
1945年 / 1950年:アイスフェルト ‐ ゲルスドルフ=ティエフェンラウター ‐ コーブルク
1975年:ブラウテンギュスバッハ ‐ カルテンブルン=ウンターメルツバッハ ‐ メンメルスドルフ ‐ ディエタースドルフ
1975年:エーバースドルフ ‐ ホーフ=シュタイナハ ‐ フュルト・アム・ベルク
1984年:クライトリッツ ‐ ロサッハ
鉄道交通は、現在ではさほど重要ではない。特にヴェラ鉄道は、もはや東西を結んでいない。
コーブルクの道路交通も、現在の接続状況は良くない。ドイツ統一の1990年までこの地域を通過する交通はほとんどなかった。道路交通は、ニュルンベルク地域とテューリンゲンとの間の南北軸を結ぶ連邦道路B4とシュヴァインフルトとチェコの東西軸を結ぶB303とがある。現在、ドイツ統一交通プロジェクトの枠組みで、連邦アウトバーンA73 ニュルンベルク ‐ リヒテンフェルス線をコーブルク経由でズールまで延長する計画や、ミュンヘン ‐ ベルリン間のICEの一部となるニュルンベルク ‐ エアフルト間の高速鉄道路線の建設プロジェクトが進行している。アウトバーンは、コーブルク ‐ アイスフェレルト間がすでに開通しており、2008年には、通り抜けられるようになる予定である。財政上の問題から全線完成の時期については明らかにされていない。
歴史 アーホルン城
初めて「コーブルクおよびザールフェルト」として文書に残っているのは、1012年、ロタリンギア宮中伯エーレンフリート(エッツォ)への嫁資としてであった。1056年、その娘リヒェンツァとともに、領主権はポーランド王に移った。その後、1353年にヴェッティン家の厳格伯フリードリヒ3世の手に落ち着くまでの300年の間、アンデクス=メラニエン伯、ヴィルトベルク伯、ヘンネベルク伯、あるいは、フルダ、ヘルスフェルト、バンツ、ラングハイム、メンヒレーデン、ファイルスドルフ、ゾンネフェルトの各修道院が所有権あるいは領有権を持った。