コースカベイサイドストアーズ
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コースカベイサイドストアーズ
Coaska Bayside Stores
コースカベイサイドストアーズの外観
地図

店舗概要
所在地238-0041
神奈川県横須賀市本町2丁目1番12号
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度17分0秒 東経139度39分46秒 / 北緯35.28333度 東経139.66278度 / 35.28333; 139.66278 (コースカベイサイドストアーズ)座標: 北緯35度17分0秒 東経139度39分46秒 / 北緯35.28333度 東経139.66278度 / 35.28333; 139.66278 (コースカベイサイドストアーズ)
開業日2020年4月24日(一部先行開業)
正式名称ヨコスカシーウインドウ
施設所有者アジア・パシフィック・ランド
施設管理者横須賀モール・リーシング合同会社
設計者アール・アイ・エー[1]、明和工芸
施工者フジタ[2](本荘所有分)
鹿島建設、奈良建設、ハナサン(住友生命保険所有分)
敷地面積40,550 m²
延床面積120,623 m² 
中核店舗イオンスタイル横須賀
店舗数147
営業時間10:00-20:00
※イオンスタイル横須賀 8:00-22:00
駐車台数1376台
前身住友重機械工業横須賀分工場
林兼造船横須賀造船所
ショッパーズプラザ横須賀
最寄駅汐入駅
横須賀駅
外部リンクCoaska Bayside Stores
イオンスタイル横須賀
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Coaska Bayside Stores
情報
旧名称ショッパーズプラザ横須賀
設計者アール・アイ・エー[1]、明和工芸
施工フジタ[2](本荘所有分)
鹿島建設、奈良建設、ハナサン(住友生命保険所有分)
管理運営株式会社ダイエー→イオンリテール株式会社
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コースカベイサイドストアーズ (Coaska Bayside Stores) は、神奈川県横須賀市本町に所在する、横須賀モール・リーシング合同会社が運営するウォーターフロント複合商業施設国道16号(横須賀街道)沿線の住友重機械工業横須賀分工場(旧横須賀海軍工廠)と林兼造船横須賀造船所の跡地に立地し、市内の商業施設では最大の敷地面積と売場面積を有する。

ヴェルニー公園と本施設の間には米軍横須賀基地の小さな通用門(DAIEI GATE)があり、兵士が出入りする様子も散見される。

1991年4月25日株式会社ダイエーショッパーズプラザブランドで運営していたショッピングモール「ショッパーズプラザ横須賀」として開業[3]。その後、運営がイオンリテール株式会社へ引き継がれた。

2019年3月31日をもって一旦閉店。香港を拠点とする不動産投資会社に運営が移行し、施設名を「コースカベイサイドストアーズ」と改め、2020年4月24日から新業態で一部店舗が営業を開始し、同年6月5日に全店舗が開業した[4][5]

ショッパーズプラザ横須賀時代から、ヒューマックスシネマが運営するシネマコンプレックス「横須賀HUMAXシネマズ」(よこすかヒューマックスシネマズ)がテナントとして営業していたが、ショッパーズプラザ横須賀の閉店に伴い一旦閉館。コースカベイサイドストアーズの開業により再度開館した。

本項では、ショッパーズプラザ横須賀とコースカベイサイドストアーズについて、一括して取り扱う。
歴史ダイエーのロゴが変わっても旧字体が残り続けた箇所があった運営承継に伴いダイエーからイオンとなったショッパーズプラザ横須賀「ショッパーズプラザ」も参照

ショッパーズプラザ横須賀の前身は、住友重機械工業横須賀分工場(以降:住友重機)と林兼造船横須賀造船所である。住友重機の工場内に存在した高架起重機1908年横須賀海軍工廠時代に設置されたもので、1975年に解体されるまでの永い間、横須賀のシンボルであった。終戦後アメリカ海軍に接収されていたが、1959年日本政府へ返還され、住友重機と林兼造船へ払い下げられていた。

住友重機はオイルショックなどの不況により1978年に工場を閉鎖し、1979年1月に倉庫やビルを賃貸する東京都の不動産業者である本荘へ、約35000平方メートル (m2) の跡地を1 m2あたり約9万5700円の総額33億6000万円で売却することで合意して横須賀市へ報告した。住友重機の土地はかつて、東京絹物や大蔵省から3回に渡り計37,628 m2を3億6000万円で購入した国有地であった。横須賀市が建設予定の本町山中有料道路に使用する土地6000 m2の無償譲渡などを含む6条件を提示すると、住友重機は受け入れて金額は変更したが翌年に売却された。

跡地は本荘により商業施設となる事が確実視されてダイエーイトーヨーカドーなど大手スーパーマーケットの出店が囁かれていた。ダイエーの出店表明が明らかになったのは、1982年5月の横須賀市議会総務常任委員会で市都市計画室から「ヨコスカシーウインドウ構想」が発表された時であった。当時、住友重機と隣接していた林兼造船も工場を閉鎖して住友生命保険(以降:住友生命)へ土地を売却し、商業施設構想は本荘と住友生命の所有する土地を使用することに決まった。

しかし京急本線汐入駅横須賀中央駅付近の地元商店街の反対が激しく、本荘が住友重機から土地を購入する際も大手スーパーの進出を危惧し、ダイエー出店表明後も合わせて11件もの陳情書が横須賀市に提出されている[6]。しかし、汐入地区の商店街はダイエー進出は脅威であったものの、横須賀市の中心は横須賀中央駅周辺であること、1980年代の横須賀の商業力は弱く都市間競争に勝つ必要があったこと、1983年の在日アメリカ海軍兵員クラブ(EMクラブ)日本政府返還を機に汐入駅周辺を再開発する機運の高まり、などを理由に出店を徐々に容認した。

ショッピングセンター (SC) の名称は、計画発足以来「ヨコスカシーウインドウ」を仮称としていたが、ダイエーグループが展開するショッピングセンター名の「ショッパーズプラザ」と整合性を持たせる狙いで「ショッパーズプラザ横須賀」とされた[7]。のちに「ヨコスカシーウインドウ」の名称は、書類上の正式名称として採用されている。

ダイエーは当初、直営28,000 m2、テナント14,400 m2を提示したが、地元商業者らが組織するダイエー対策委員会が反対し、開業後3年間は直営12,000 m2、テナント11,320 m2とする斡旋案を提示した。ダイエーはこれに基づき再度調整後、1987年2月に横須賀商工会議所へ三条申請を行った[8]。しかし申請時点では未だ詳しい内容が決まっておらず、ショッピングモール以外に24時間営業の大型飲食店ゾーンや水上レストラン、博物館それにホテルなど様々な施設の建設案があった。最終案に近い14階建てで6階から14階をオフィスビルとする案もあったが中止され、オフィスビルのフロアを取り除いた地上6階建ての建物を設計することで決定した。設計は株式会社アール・アイ・エーと明和工芸が担当し、後に建物は商環境デザイン賞を受賞[1]した。

1989年9月から着工し、1991年4月にショッパーズプラザ横須賀が開業した[9][10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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