コーサ・ノストラ
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この項目では、マフィアについて説明しています。音楽グループについては「COSA NOSTRA」をご覧ください。

「コーザ・ノストラ」はこの項目へ転送されています。映画については「コーザ・ノストラ (映画)」をご覧ください。
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この記事には参考文献外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年9月)
最高幹部のラッキー・ルチアーノ幹部のヴィト・ジェノヴェーゼ幹部のヴィト・ジェノヴェーゼ

コーサ・ノストラ(Cosa Nostra)若しくはコーザ・ノストラは、主にイタリアアメリカ合衆国で活動している秘密結社的犯罪集団である。イタリア語で「我らのもの」を意味し、一般的にマフィアと呼ばれている複数の組織犯罪集団の集合体。

また、シチリア語ではコーサ・ノストラと発音するが北部のイタリア語ではコーザ・ノストラとも発音する[1]。日本では後者のカタカナ表記が一般的である。
概略

ボスを頂点とするピラミッド型の構造を持ち、忠誠心と暴力による恐怖支配によって組織を維持した。秘密結社でもあり、組織について沈黙を守るよう定める血の掟によって、その実態が表面化することは少なかった。麻薬売春などの犯罪はもとより、公共工事への介入など、その活動は多岐に渡る。

イタリアとアメリカのマフィアには根を同一にするものとして交流があると言われるが、世代の交代や時間の経過とともにその関係は薄くなっていると推測されている。

なお、コルシカ島の犯罪組織・ユニオン・コルス(英語版)は、フランス圏という地勢学上の観点からも伝統的にミリュー(フランス語版)(milieu corse)と呼ばれるフランスの闇社会の勢力に含まれる。コーチシナヘロイン輸送で活躍したのは彼らだが、マスコミがマフィアと混同したため混乱した。本来は別である。
別の呼び名

彼らが自らの組織を呼ぶ際に「名誉ある社会」と表現する場合もある。そして、個人の場合は「名誉ある男」という言葉を好んで使う。また、マフィアと一般人を区別するため、単に「我々」という言葉も使われる。例として「彼は我々の友人だ」の場合は、彼もマフィアの一員であるという意味合いで使われ、「彼は私の友人だ」の場合は彼はマフィアの一員ではないという意味がある。

混同されがちであるが、コーサ・ノストラという言葉の前にラ(LA)と付けられる場合と付けられない場合があるが、本来の表記はCOSA NOSTRAであり、イタリアではこちらの名称が使用されている。ラ(LA)という言葉は、アメリカ合衆国において、マフィア調査の際にFBIが表記したのが最初である。
入会儀式

組織への入会の儀式は、資料によって微妙に違いが見受けられるが、だいたいは以下のように進められる。
まず、新規入会者は人気の無い場所へ呼び出される。

そこに入ると、3人のマフィア構成員がおり、彼らから入会の意思確認がなされる。

それに同意すると、沈黙の掟等の「名誉ある男」として守るべき掟が伝えられる。

その次に、どちらの手で銃を持つかと尋ねられる。

そして差し出した手の指にピンを刺し、
聖母マリアが描かれた紙に指先から出た血をつける。

その後、その紙を両手で包むように持ち、その紙に火がつけられる。

そして紙を持ったまま、「私が誓いを破ることがあれば聖人の貴方のように我が身も燃え尽きる」と唱え誓いを立てる。

この儀式を終えると、「名誉ある男達」の正式な一員となる。
シチリア・コーサ・ノストラの歴史
マフィアの誕生

マフィア発祥の地であるシチリア島は、地中海のほぼ中央に位置している。イタリアチュニジアを結ぶ中間点にあることから、古代から近世にかけて様々な民族による侵略を受け、長年にわたり諸外国の勢力下に置かれていた。シチリアには近年まで自治行政府は存在せず、数世紀にわたり大土地所有制度の下、貴族などの権力者によって住人たちは抑圧されてきた。シチリアに主権が与えられたのは第二次世界大戦後の1947年である。

長期間続いた外国による支配と彼らの失政、その腐敗構造により、かつて農業の盛んだったシチリアの国土は荒れ果て、山賊等の無法者が蔓延る島となった。このため島の住人たちは公権力に対して強い不信感を持つようになった。シチリア人にとって、「公権力に頼ること」や「公権力に協力すること」は非常に不名誉なことであるとされるようになり、「公権力に頼らず、自分の力で問題を解決していくこと」が名誉ある生き方と考えられるようになっていった。

18世紀、シチリアに領地を持っていた貴族や地主らは、ナポリパレルモ等の都市部に居住しており、領地の経営やそこに住む小作農民への関心は薄かった。彼らから広大な農地を貸与された農地管理人(ガベッロット)たちは、地主たちの無関心を利用して、そこでの収益を地主に不正申告し、余った金を小作農民たちに法外な利子をつけて貸しつけたり、また当時は非常に儲けの大きかった家畜泥棒等をして私腹を肥やしていった。そして彼らは農地監視人(カンピエーレ)という農地を山賊や盗賊から守るための人間を雇い、徐々に地主たちからその権利を奪い取り、さらに、貴族、政治家、警察、教会などの上流階級や小作農民や山賊らをも取り込んでいき、勢力を拡大していった。彼ら農地管理人と農地監視人がのちにマフィアと呼ばれる組織の母体となったと言われている。

こうして誕生したマフィアは、シチリアの住人に対して「無能で高圧的な公権力に対し、誇り高く名誉ある男として振る舞う男たち」というイメージを刷り込んでいった。シチリアの大衆もそんな彼らに幻想を抱き、救いの手を求めるようになっていった。
ジョン・フォスター・ローズ誘拐事件

マフィアが起こした事件で最初に世界を震撼させたのは、1877年に起きた誘拐事件だろう。この事件は1877年11月にジョン・フォスター・ローズというイギリスの銀行家が自分の所有しているシチリアの土地を見に訪れたときにレオネというマフィアのボスに誘拐された事件である。

レオネは莫大な身代金を要求した。払えないという返事が来るとローズの耳と鼻をそぎ落とし、送りつけた。そのためイギリスの新聞は募金を呼びかけ、金を払いローズは解放されたという。

その後、イギリス政府はイタリアに対しレオネを逮捕するよう要求し、逮捕が行われなければ軍隊を上陸させるとも通告したともいう。イタリア政府は1年かけてレオネを逮捕した。彼は裁判で終身刑を受けたがその後脱獄し、アルジェリアに逃げたという。
ノタルバルトロ侯爵殺害事件

マフィアが政治に介入した象徴的な事件として、1893年2月1日に起こった元シチリア銀行頭取エマヌエレ・ノタルバルトロ侯爵殺害事件が挙げられる。犯人として、政治家のラファエレ・パリッツォーロと彼の友人であるマフィアのボスが浮上した。

事件の原因は、彼が手形を偽造して銀行から融資を受けていたことを、ノタルバルトロに感づかれてしまったからであった。しかし、あらかじめマフィアが各方面に手を回していたこともあり、当局はこのことに関して調査しようとせず、この事件を捜査しようとした捜査官らは左遷され、直接殺害に関与したマフィアたちもまともに審議されずに釈放された。

これに憤慨したノタルバルトロの遺族は独自で調査を行い、裁判を要求した。かくてイタリア本土で裁判が行われることとなり、パリッツォーロらに有罪判決が下った。

このことに対してシチリアの有力者たちは激怒した。彼らが結成した「親シチリア委員会」は、「シチリア人が迫害されている! シチリア人を陥れようとしている者たちが我々にマフィアというレッテルを貼ろうとしている!」とのキャンペーンを展開し、裁判のやり直しを要求した。その結果、再度裁判が行われることとなり、1904年にパリッツォーロらは無罪放免となった。シチリア人たちは公権力に勝利したとして大いに満足し、それ以来マフィアという言葉はシチリアでは禁句となった。
イタリア国外への進出

19世紀から20世紀にかけて、マフィアたちの勢いはさらに増していった。それまでは主に農村地帯が彼らの本拠地であったが、パレルモなど都市部へもその勢力を拡大していった。また、19世紀末、アメリカへの移民増加と共に、マフィアも海を渡った。映画「ゴッドファーザー」で知られるアメリカ・マフィアの起こりである。

マフィアであるヴィト・カッショ・フェロは、1901年にアメリカへ渡り、ニューヨークイタリア系アメリカ人の犯罪組織であるマーノ・ネーラ(Black Hand)と手を結び、犯罪の手ほどきをした。


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