コーエー
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この項目では、ゲーム制作会社について説明しています。かつて山口県にあった医薬品卸売会社については「コーエー (山口県)」を、かつて高知県にあった医薬品卸売会社については「コーエイ」をご覧ください。
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株式会社光栄
KOEI Co., Ltd.
本社ビル(1991年 - 1997年)
種類株式会社
市場情報東証1部 9654
1994年11月16日 - 2009年3月25日
略称コーエー
本社所在地 日本
223-0051
神奈川県横浜市港北区箕輪町一丁目18番12号
設立1978年昭和53年)7月25日
業種情報・通信業
事業内容パーソナルコンピューター・家庭用ビデオゲーム機用ソフトウェアの企画・開発・販売、書籍及びCDの企画・制作・販売
資本金90億9000万円
発行済株式総数6857万1624株
売上高単独:20,195百万円(2009年3月期)
営業利益単独:4,161百万円(2009年3月期)
純利益単独:1,123百万円(2009年3月期)
純資産単独:48,823百万円(2009年3月期)
総資産単独:53,197百万円(2009年3月期)
従業員数932名
決算期3月31日
主要株主コーエーテクモホールディングス 100%
関係する人物襟川陽一(創業者)
外部リンク ⇒http://www.koei.co.jp/
特記事項:特記ある場合以外は2009年9月30日時点の情報[1]
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株式会社コーエー(登記上の商号:株式会社光栄、: KOEI Co., Ltd.)は、かつて存在した日本パソコンゲーム・開発ツールおよび家庭用ゲーム機ゲームソフト開発会社である。1978年創業[2]。2010年に同業のテクモと合併し、コーエーテクモゲームスとなった。
概要

光栄・KOEIのブランド名で知られる。元々は染料および工業薬品の問屋であったが、1980年に創業者の襟川陽一がゲーム開発に興味を示し業種転換した。2009年4月にテクモと経営統合を行い、コーエーテクモホールディングスを設立、2010年4月にテクモを吸収合併しコーエーテクモゲームスに商号変更した。合併時に開発部門が(新)コーエー、(新)テクモに分離されたが、2011年4月に再統合された。

1983年4月に発売された『信長の野望』はその後シリーズ化され、同社の代表作となった。以後『三國志』シリーズなどを加え、「歴史シミュレーション」というジャンルを確立した。売り上げ不振でパソコンのゲーム市場から撤退するメーカーが多いなか、数少ない国産非アダルトPCゲームメーカーとして、25年以上にわたりPC向けに歴史シミュレーションゲームを提供し続けた。

1994年9月には世界初となる女性向け恋愛シミュレーションゲームアンジェリーク』を発売[3]。そのほか3Dアクション『無双シリーズ』やMMORPGの開発も手がけた。テクモと合併後の事績については「コーエーテクモゲームス」を、コーエーテクモグループについては「コーエーテクモホールディングス」を参照
社名

会社設立の際に、業種にとらわれない社名を易学師に勧められ、「光り栄える会社に」という願いをこめて名づけられた[4][5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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