コ・イ・ヌール
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コ・イ・ヌール
(マドナーヤク)

ミュンヘンの鉱物博物館にあるコー・イ・ヌールのガラス製イミテーション(上: 1851年以前、下: 1852年以後)
質量186.0125(1851年以前)、
105.602(1852年以後) カラット (37.21(1851年以前)、
21.61(1852年以後) g)
色D(無色)[1]
タイプIIa[1]
カットアンティーク・オーバル・ブリリアント・カット
発掘国 インド共和国
アーンドラ・プラデーシュ州
発掘鉱山ビジャープル鉱山?
発見日不明。
もっとも、世界最古のダイヤモンドと呼ばれるだけあり、マハーバーラタにこの石のことが記されている。
カット者不明。
現在の形状はアルバート公が1852年にアムステルダムの職人へ8,000ポンドを支払い再カットさせた結果。
初期所有者不明。
伝説ではカーカティーヤ朝の王が仏像の眼に寺院に寄贈、そこから盗まれインド各地の王朝を流転した、と伝わる。
史料にその名が出てくるのはムガル帝室が保有してから。帝国の凋落が始まると再び各地の有力者間を流転するも、最終的にイギリス東インド会社が確保し、そこから現所有者の手へ。コ・イ・ヌールの名付け親はその頃の所有者の一人であるアフガニスタン国王、アフマド・シャー・アブダーリーで、それまではマドナーヤク、宝石の王などと呼ばれていた。
現所有者イギリス王室の女王の王冠に取り付けてある。

コ・イ・ヌール(ヒンディー語: ???? ???、K?hi N?ra、Koh-i-noor, Kohinoor, Koh-i-Nur)は、インドで発見されたダイヤモンドである。コーヒ・ヌールと表記されることもある。もともとはペルシア語で「光の山」を意味する「??? ???」(クーヘ・ヌール)に由来している。

かつては世界最大のダイヤモンドと呼ばれ、その歴史において周辺国の幾人もの王侯がその所有を争った。最終的にインド女帝となったイギリスヴィクトリア女王のものとなり、現在はロンドン塔で展示されている。大きさは105カラット (21.6 g)。
歴史

多くの伝説や神話、逸話に彩られており、初期の来歴ははっきりとしていない。ただし、19世紀まではインド亜大陸が世界で唯一のダイヤモンド産出国であったことから、インド原産であることは確実である。伝説ではガンジス川の支流ヤムナー川河畔に捨てられていた子供の額からこの石が発見されたことになっており、王宮にもたらされた後、ヒンドゥー教シヴァ神像の第三の眼に相当する位置に嵌め込まれたと云う。しかし現実には、アーンドラ・プラデーシュ州のビジャープル鉱山で発見された可能性が高い。

1526年バーブルによって書かれた『バーブル・ナーマ』のなかで、コ・イ・ヌールという名称が確認できる。その記述によれば、1294年マールワーのとあるラージャーが所有していたと言う。その後、ムガル帝国シャー・ジャハーンアフシャール朝ナーディル・シャードゥッラーニー朝アフガニスタンアフマド・シャー・アブダーリーパンジャーブマハーラージャランジート・シングらの手を経る。1849年3月2日にパンジャーブがインド帝国の支配下に入り、その女帝であるヴィクトリア女王に献上された。

1851年に開催されたロンドン万国博覧会では、この石は出品物の目玉として会場となった水晶宮に展示されたが、この石に施されたインド式のムガルカットではその輝きを十分に引き出すことができず、これを入手した女王本人を含め、きらびやかな輝きを期待してはるばる訪れた見物客をもがっかりさせた。そこで、国民及び女王の意を汲んだ夫で王配のアルバート公アムステルダムから職人を呼び寄せ、この石の再カットを命じ、現在見られるブリリアントカットへと収まった[2]。インドは独立以降、返還を求めているが、イギリスは現在のところ拒否している。

イギリス王室ではエドワード7世の王妃アレクサンドラ王妃の冠に取り付けられて以来、ジョージ5世の王妃メアリー王妃ジョージ6世の王妃エリザベス王妃の王妃の冠に取り付けられていた。王妃の戴冠式としてはインド独立後の始めて執り行われる2023年5月6日のチャールズ3世戴冠式ではカミラ王妃の王冠にはコ・イ・ヌールに代わってカリナンVが取り付けられた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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