コンピュータ数値制御
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CNCターニングセンタ 三菱電機製CNC 操作画面

コンピュータ数値制御(コンピュータすうちせいぎょ)またはCNC (英語: computerized numerical control(コンピュータライズド・ニューメリカル・コントロール)) は、機械工作において工具の移動量や移動速度などをコンピュータによって数値で制御することである。同一の加工手順の繰り返しや、複雑な形状の加工を得意としており、今日では多くの工作機械で採用されている。

CAD/CAMプログラムと連携することで設計段階から製造までの高度な自動化が可能となっている。CAD/CAMプログラムが生成したファイルを特定工作機械の操作に必要なコマンド列に変換し、CNC工作機械にロードして製造を行う。日本ではNC旋盤マシニングセンタを中心として加工手順の記述に「Gコード」と呼ばれる一種のプログラム言語を用いるのが主流となっている。目次

1 歴史

1.1 CNCの登場

1.2 CADとCNC

1.3 CNCの実用化

1.4 現状


2 特徴

2.1 CNCの主な適用範囲

2.2 CNC工作機械の主な種類


3 愛好家向けCNC工作機械

4 歌

5 関連項目

6 脚注・出典

7 参考文献

歴史

数値制御の登場によって、作業者の熟練度に依存せずに同じ品質の製品を大量に生産することや、自動運転による連続運転が実現するようになったが、作業指示の入力方法は、紙テープパンチカードであり、以下のような問題点を抱えていた。

複雑な加工への対応の難しさ

入力指示後、加工前に完成品形状の確認が行えない

紙テープやパンチカード破損による作り直し

そこで、加工パスを数値情報に置き換え、それをNC機械に入力して工具を動作させる方法が考え出された。

NCの研究は、1947年マサチューセッツ工科大学 (MIT) のサーボ機構研究所で始まり、1952年にはNCフライス盤が開発され、基礎研究が始まった。その後、コンピュータ技術の進歩に伴って、徐々に既存のNC機械からCNC機械へと発展していった。今では、CNCではないNC工作機械はほとんど存在しない。しかし、製造の現場ではCNCという表現はあまり用いられず、CNC加工、CNC機械についてもNC加工、NC機械と表現されることが多い。

初期のCNC装置は、数値情報を入力しても結果の事前確認ができず、旧来のNC工作機械と同様に、発泡スチロールなどのダミーを用意したり、工具先にペンを取り付けて加工パスを描かせる事で結果を確認していた。しかしながら、曲線、曲面といった複雑な形状を数値で定義できたことにより、加工に対する自由度は格段に向上した。

コンピュータ上での画像処理技術が向上するにつれ、工作機械に外部のディスプレイを接続したり、本体にディスプレーを備える機械が登場し、事前に加工情報の確認が行えるようになっていた。

コンピュータ支援設計 (CAD) が進歩するにつれ、CADで作成された製品データをもとにNC機械の加工情報を作成するコンピュータ支援製造 (CAM) も発達し、工作機械から遠く離れたコンピュータの画面上で加工情報の作成や確認が行えるようになった。また、工作機械の進歩に伴い、複雑な三次元形状の高精度な加工が高速で行えるようになった。

CAD/CAMとの連携、複雑な三次元加工を実現する工作機械の登場により、CNCの適用範囲はさらに拡大することとなった。特に、高精度かつ複雑な加工が実現できるようになるにつれ、金型治具といった量産品ではない一品一様に近い代物の製造に多く適用されている。
CNCの登場

1952年に始まったMITでのプロジェクトでは、試験的部品を作るコマンド列の多くは人間が手でプログラミングし、入力として使う紙テープを生成していた。そこでジョン・ラニアンはWhirlwind(ホワールウィンド)を使ってコンピュータ制御で工作機械用紙テープを作るための各種サブルーチンを作成した[1]。利用者が一連の点と速度を入力すると、プログラムによって紙テープが生成される。これにより、紙テープ作成と部品加工までを含めた作業にかかる時間は8時間から15分へと削減された。これに基づき、空軍に対して数値制御等の汎用プログラミング言語開発の提案をし、それが1956年6月に受理された[1]

同年9月、ダグラス・ロスらは点と線をベースとして工作機械を制御する言語の概要を完成させ、その後数年かけてAPT(英語版)という言語を開発した[1]。1957年、アメリカ航空宇宙工業会 (AIA) とライト・パターソン空軍基地空軍兵站軍団はMITと共同で完全コンピュータ制御のNCシステムのための標準策定を行った。1959年2月25日、3者共同でその成果を発表し、その席で記者たちにCNC工作機械で作ったアルミニウム製の灰皿を配布した[2]

同じ頃、ゼネラル・エレクトリックのパトリック・ハンラッティは Giddings and Lewis Machine Tool Co.(ジディングス・アンド・ルイス・マシーン・トゥール・コーポレイション) (G&L) の Numericord(ニュメリコード) を使って同様の開発を行っていた。彼が開発した言語 PRONTO(プロント) は1958年にリリースされ、APTと競合することになった[3]。ハンラッティはその後、小切手などで使われている磁気インク文字認識 (MICR) を開発し、更に後にはゼネラルモーターズに移りDAC-1という有名なCADシステムを開発した。

APTはすぐに 2D-APT-II に拡張され、曲線を使えるようになった。そのリリース後、MITはCNCよりもCADに研究の重点を置くようになった。APTの開発はサンディエゴのAIAに継承され、1962年にはイリノイ工科大学に受け継がれた。APTを USASI X3.4.7 として国際標準にする作業が1963年に始まったが、CNC工作機械のメーカーはそれぞれ独自の拡張を行っていたため、標準化は1968年までかかり、基本システムに25の追加オプション機能を付随させることになった[2]

APTがリリースされた1960年代初期ごろ、トランジスタを使った第2世代のコンピュータが登場し、製造現場においてもさらに大量の情報を処理できるようになっていった。CNC工作機械のコストは1960年代半ばには非常に低減されたため、航空機メーカーのコンピュータ時間の3分の1はAPTの実行で占められるようになった。
CADとCNC

MITのサーボ機構研究所が最初のNC工作機械を開発していた一方で、1953年MITの機械工学科は製図の授業を必修科目から外した。製図を教えていた講師らはデザイン部門に移籍し、そこでコンピュータによる設計についての議論が始まった。同じころサーボ機構研究所を改称した電子システム研究所では、設計図を紙に書くことが将来どうなるのかが議論されていた[4]

1959年1月、電子システム研究所と機械工学科のデザイン部門の間で非公式の会合が行われた。4月と5月には公式の会議が開催され「Computer-Aided Design Project(コンピューター・エイディド・デザイン・プロジェクト)」の立ち上げが決まった。1959年12月、空軍は1年間の契約でこのプロジェクトに22万3000ドルを資金提供し、そのうち20,800ドルは1時間200ドルのコンピュータ利用104時間ぶんに充てられた[5]。この野心的プログラムは1年程度では完成せず、1965年3月、技術計算システムAED[6]がリリースされた。

1959年、ゼネラルモーターズは各デザイン部門が生み出す多数のデザインスケッチをデジタイズし、記録し、印刷するという実験的プロジェクトを開始した。基本概念はうまく機能することが判明したため、GMはIBMと共に製品版を開発するDAC-1プロジェクトを開始した。DACプロジェクトには、2次元の設計図を3次元モデルに直接変換し、その3次元モデルをAPTのコマンド列に変換してCNC工作機械で部品を切り出すという目標もあった。1963年11月、トランクの蓋の設計を初めて2次元の紙から3次元のプロトタイプに移行した[7]。最初のスケッチ以外は、設計から生産まで全てコンピュータ化された。

そのころMITのリンカーン研究所ではトランジスタを全面的に使ったコンピュータを構築するプロジェクトが行われていた。最終目標は Whirlwind をトランジスタ化したTX-2だが、回路設計の評価のため小型版のTX-0を最初に製作した。TX-2の製作が始まるとTX-0は自由に使えるようになり、グラフィックスを表示できるブラウン管のディスプレイと対話型入力機能を使って様々な実験が行われた。その後の開発をアイバン・サザランドが行い、TX-2上のSketchpad(スケッチバッド)として結実した。


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