コンパック
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コンパック・コンピュータ・コーポレーション
Compaq Computer Corporation

末期に使用されていたロゴタイプ
種類株式会社
本社所在地 アメリカ合衆国
テキサス州ハリス郡非法人地域ヒューストン近郊)
設立1982年2月
業種電気機器
事業内容コンピュータデスクトップノート、サーバ、通信機器、ソフトウェア)、ITコンサルタント、ITサービス
主要子会社タンデムコンピューターズDEC
関係する人物ロッド・キャニオン(設立者)
ジム・ハリス(設立者)
ビル・マート(設立者)
特記事項:2002年、HPが買収。2010年、コンパックブランドが消滅
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コンパック・コンピュータ・コーポレーション (Compaq Computer Corporation) は、1982年に設立されたパーソナルコンピュータ (PC) 企業。1980年代リバースエンジニアリングクリーンルーム設計により、IBMの権利を侵害せずに、世界初のIBM PC互換機を低価格で製造した企業のひとつである[1]PC/AT互換機メーカーとして、1990年代には最大のPCメーカーの地位を確立したが、2001年にはデルに逆転された[2]2002年ヒューレット・パッカード(HP)に約250億ドルで吸収合併されるまで独立企業として存続していた[3][4]。HP社との合併後は、2013年までPC製品のブランドとして存続した。

TIの管理職だったロッド・キャニオン、ジム・ハリス、ビル・マートの3人が創業した。マートは1987年に退社したが、キャニオン(社長兼CEO)とハリス(技術担当上級副社長)は1991年の経営刷新でコンパックを離れ、後任のCEOはエッカード・ファイファー(英語版)となった。会社立ち上げの際に資金提供したベン・ローゼン(英語版)が1983年から18年間会長を務め、2000年9月28日に退職。後任は1999年にCEOとなっていたマイケル・カペラス(英語版)となった[5][6]
本社コンパック本社の航空写真。現在はHP USA 本社となっている。

買収前のコンパックの本社はアメリカ合衆国テキサス州ハリス郡北西部の非法人地域ヒューストン近郊)にあった[7]。現在は HP USA の本社となっている。

320,000m2の敷地に、15のオフィスビル、7つの工場、カンファレンスセンター、従業員用カフェテリア、研究所、倉庫、化学薬品取扱施設などがある[8]
歴史
創業キーボードとマウスに印字されたかつてのCompaq社の旧ロゴ

コンパックは1982年2月、半導体企業テキサス・インスツルメンツ社の上級マネージャロッド・キャニオン、ジム・ハリス、ビル・マートらの3人が1000ドルずつ出し合って設立した。ベンジャミン・M・ローゼン(英語版)とセビン・ローゼン・ファンド(英語版)が初期の資金を提供した。コンパックの最初のPCのアーキテクチャは、創業者らがヒューストンのレストランで話し合っているときに、テッド・パパジョンがナプキンの上に書いたと言われている[9]。創業時の社名はゲートウェイ・テクノロジーだった。Compaq という名称は "Compatibility and Quality"(互換性と品質)の略とされているが、この説明は後付けである。

創業期の営業担当重役ジム・ダレッゾとスパーキー・スパークスはIBMのPC部門から招かれた。他に1980年代後半から1990年代前半にかけてのはなばなしい成長を支えた重役としてロス・A・クーリー(かつてIBM従業員で、長年 GM North America の上級副社長を務めていた)、マイケル・スウェブリー(初期の最高営業責任者)がいる。
Compaq Portable 登場Compaq Portable

1982年11月、コンパックは最初の製品 Compaq Portable を発表した。これはIBM PC互換のパーソナルコンピュータで持ち運び可能という特徴があった。発売は1983年3月、価格は2995ドルで、当時の競合機種であるカナダ製のHyperion(英語版)と比較すると極めて手ごろな価格設定である。Compaq Portable はその後のラップトップパソコンの先祖でもあるが、スーツケースのような大きさだった。PC互換機としては2機種目で、IBM PC 用ソフトウェアが全て動作する。これが記録的なヒットとなり、初年で53,000台1億1100万ドルを売り上げた。その後Compaq Portableはシリーズ化される。コンパックがIBMクローンを合法に製造・販売できたのは、IBM PCの部品の大部分が既製品だったためである。また、マイクロソフトそのOSをIBM以外に販売する権利を保持していた。従って問題はIBMのBIOSの権利だけだったが、コンパックは100万ドルをかけてクリーンルーム設計で自社のBIOSを作り上げた[10][11]。フェニックス・テクノロジーズ(英語版)がすぐさまこれに続いて互換BIOSを開発、他にも複数の企業が互換BIOSを開発して販売するようになったため、パソコンメーカーはそれを買ってPC/AT互換機を作れるようになった。
Compaq DeskPro

1984年6月28日、Intel 8086 を7.14MHzで駆動する16ビット・デスクトップ機 Compaq Deskpro をリリース。当時の IBM PC よりずっと高速で、Compaq Portable と同様、IBM用ソフトウェアを実行できる。これが Compaq Deskpro シリーズの最初の製品である。
Compaq DeskPro 386

1986年、最初の80386マイクロプロセッサ搭載PC、Compaq Deskpro 386 を登場させた[12]。当時、IBMはまだ386を使っておらず、これによって遂に、IBMの追随ではなく、PC/AT互換機の側が技術と市場とユーザーを先導する側に転じたのである。IBMが386機をリリースしたのは7カ月後である。

発表後の3カ月間、Deskpro 386 には Windows/386 が同梱された。これは Windows 2.1 の386対応版で、仮想86モードサポートをコンパック自身が追加した。
Compaq SystemPro

IBMに対する技術的優位性は、1989年後半のSystemPro(英語版)サーバのリリースでさらに強まった。デュアルプロセッサ搭載可能で、RAIDをサポートしたサーバだが、IBMのMCAに対抗して設計されたEISAバスを搭載した最初の製品でもある。EISA開発に至るまで、コンパックはMCAのリバースエンジニアリングに多大なリソースを投入していた。MCAのクローニングをあきらめると、コンパックはHPおよび他の7社と同盟を結び、EISAを開発することにした。
1990年代
創業者キャニオンの追放

北米部門のトップとなっていたマイケル・スウェブリーが1991年7月12日に引退すると、エッカード・ファイファー(英語版)が後を引き継いだ。ファイファーはまたCOO(最高経営執行者)にも就任[13]。ファイファーはテキサス・インスツルメンツから転職し、ヨーロッパやアジアでの事業基盤を一から構築した。ヨーロッパ支社設立資金として渡されたのは2万ドルで、ファイファーは1984年、コンパック初の海外オフィスをミュンヘンに開設した。1990年にはヨーロッパ支社の売り上げは20億ドルとなり、コンパック全体の54%を占めるようになった[14][15]

同じ1991年、会長のベン・ローゼンは創業者の1人で社長兼CEOのロッド・キャニオンを解任し、ファイファーを社長兼CEOに就任させた[16]デルASTリサーチゲイトウェイといったライバルの低価格路線に追随できず、コンパックとして初の赤字(四半期で7100万ドル)を計上した責任をとらされた形である[17][18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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