コントラクトブリッジディクレアラープレー
別名ブリッジ
種類トリックテイキングゲーム
人数4人
必要技能記憶、戦術、予測、駆け引き
枚数52枚
デッキアングロアメリカン
順番時計回り
カードランク
(最高-最低)A K Q J 10 9 8 7 6 5 4 3 2
プレイ時間WBFトーナメントゲームでは1プレイ7.5分
関連ゲーム
ホイスト、オークションブリッジ(英語版)
ウィキブックスにコントラクトブリッジ関連の解説書・教科書があります。
コントラクトブリッジ(英: contract bridge)は、切り札のあるトリックテイキングゲームの一つである。ただ単にブリッジと略すことも多い。
ブリッジと名のつくカードゲームには他にセブンブリッジがあるが、コントラクトブリッジとは全く異なるゲームである。
このゲーム中では切り札のことを「トランプ」と呼び、またゲーム中の情報伝達に規則があるゲームなので注意すること。
プレイ人数は4人。向かい合ったもの同士がペアを組み、自らの手札を元に2人でとれるトリック数の合計を類推し、ビッドにより攻撃側ペア・守備側ペアを決める。攻撃側で主とならない側のプレイヤーは、最初のリードの後手札を晒す。これをダミーと呼び、そのカードは主となる側が指定して出すことになる。13回のトリックのうち、攻撃側が宣言した以上のトリックを取れれば勝利となり、宣言しただけの点数を獲得し、宣言した以上の分についてはボーナスとして点数を獲得する。
競技では、配られたカードの差による有利不利を減らすため、デュプリケートブリッジとして、カードの内容をあらかじめ決めておき、競技者の間でそれらカードをプレイした結果の差で勝ち負けを決める。 トリックテイキングゲームの歴史はトランプ自体と同じくらい古いが、18世紀後半から19世紀には、イギリスのホイストがヨーロッパ中で流行するようになった。しかしそれまで流行していたオンブルやカドリーユのようなビッドシステムがホイストには欠けていたため、ホイストにビッドシステムを追加する試みがいくつか行われ、その中からブリッジも生まれた。 ブリッジの直接の祖先にあたるのは、ジョン・コリンソンが1886年に刊行した冊子の中に載っている「ビリッチ(biritch)」というゲームである[1]。コリンソンによると、このゲームはコンスタンチノープルのロシア人によって当時遊ばれていたものだという。ビリッチはダミー・ホイスト(ディーラーのパートナーが手札を開いて見せ、ディーラーがそこから何を出すかを決めるもの)の一種で、ディーラーかまたはそのパートナーが切り札を決めるか、または切り札なし(これをビリッチといった)を宣言する。ディーラーの相手側はダブル(contre)をかけられる、というもので、まだ競りのシステムはなかった。このゲームは後に「ブリッジ・ホイスト」さらに略してブリッジと呼ばれるようになった。「ブリッジ」という言葉はこのビリッチが変化したものと考えられている(ビリッチ自身の語源は明らかでない)。 1904年前後に、切り札をプレイヤーが決めるために“競り”を用いるオークション・ブリッジが考案された。コントラクトブリッジとオークション・ブリッジとの主な違いは得点の計算方法にある。とくに、オークション・ブリッジでは取れたトリック数がそのまま得点になったのに対して、コントラクトブリッジでは宣言したトリック数によって得点が得られるように変更された。この変更は第一次世界大戦中にフランスで考案され、プラフォン(plafond、天井)という名前で流行した[2]。さらにアメリカのハロルド・スターリング・ヴァンダービルトらによって1925年にスコア表とバルナラビリティに関する改良が加えられ、1930年代以降はコントラクトブリッジがオークション・ブリッジやプラフォンを圧倒した。 現在、コントラクトブリッジはオークション・ブリッジを含めた他のブリッジに完全に取って代わっており、特に米英では単にブリッジと言えばコントラクトブリッジのことを指すようになっている。ただし、日本では逆にブリッジと言った場合、セブンブリッジを指すこともあるため、注意が必要である。日本語では「コントラクトブリッジ」と「コントラクト・ブリッジ」の2種類の表記があるが、管轄団体である日本コントラクトブリッジ連盟 (JCBL) では「コントラクトブリッジ」としているため、本項目でもこの表記に従う。 日本においては余りなじみのない競技だが、戦前から欧米人と関わりを持つ者を中心として行われていた。1953年には日本コントラクトブリッジ連盟が結成されている。現在では日本電気や日産自動車などが協賛する競技会が定期的に開催されている。 1995年にブリッジはマインドスポーツの一種目として、国際オリンピック委員会の承認競技リストに載ることになった。
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