コンテンポラリー・ダンス
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コンテンポラリー・ダンス(: contemporary dance)とは、文字通りには「今この時代の/当代の/現代の舞踊」という意味であるが、実際の語としては、フランス語の "danse contemporaine(ダンス・コンタンポレーヌ)" の意訳語である。また、日本語名としては、英語名の音写語「コンテンポラリー・ダンス」のほかに漢訳語「現代舞踊」も通用している[注 1]1960年代以降のアバンギャルド(前衛的)なダンスに起源を求める説が有力だが、係る名称で呼ばれている舞踊芸術様式の発祥地がフランスであるともされており、フランス起源とする説もある。
概要sketch showing lineage of 20th century concert dance c Ohka-
Note: this sketch is provided for illustrative purposes only

コンテンポラリー・ダンスにはアフリカン・ダンスや日本の舞踏などの、非西洋の要素が含まれる場合がある[1][2]。行われているダンスのうち”非古典的かつ前衛的で、時代の先端を体現している”ダンス作品およびダンステクニックを指す概念である。イサドラ・ダンカンマーサ・グラハムモダンダンスや、マース・カニンガムらがつくりあげた「ポスト・モダンダンス」以降のダンスをさしていたが、ドイツの表現主義ダンスタンツテアター(de)やコンタクト・インプロビゼーション、暗黒舞踏ストリートダンス、ヌーボーシルク(en)(現代サーカス)、各国のエスニック・ダンス、映像をつかった実験的パフォーマンスなど、考えうる限りのあらゆるパフォーマンスが取り込まれる状態が進行している。過去にバレエモダンダンスポスト・モダンダンスなどの舞踊芸術を経験してきたダンサーのうち、クラシック・ダンスの伝統を解体し、創造的なダンスを目指しているダンサーやダンス・カンパニーに、コンテンポラリー・ダンスを標榜する傾向が見られる。ダンスの定義そのものを問いかける作品が増加する傾向もある。著名なダンサーには、ピナ・バウシュや、勅使河原三郎らがいる[3]
詳細

1970年代後半、フランスでは国策として文化の地方化(デサントラリザシオン)(fr)が図られ、大きな文化予算が組まれるようになった。その一環として舞踊部門にも積極的に資金が投下されるようになり、皮切りとして1978年にアンジェの国立フランス現代バレエ団 (CNDC) が設置された。これは文化省のイゴール・エイスナーというダンス担当役人の働きによるもので、エイスナーは各地に地方振付センターを作って上からダンスのネットワーク形成を図った。首都パリのオペラ座にも現代舞踊部門が設置され、その指導者としてフィンランド系アメリカ人ダンサー、カロリン・カールソン(英語版)が招聘された。このカールソンがコンテンポラリー・ダンスの母だとされている[注 2]

折りしもフランスにアメリカのモダンダンスやポスト・モダンダンスが紹介された時期と重なっていたこともあり、カールソンの新しい振り付けは斬新なものとして受け入れられた。ほどなくしてフランス発の前衛舞踊が振付けられるようになったが、当初は「コンテンポラリー・ダンス」ではなく「ヌーヴェル・ダンス」とよばれた。ヌーヴェル・ダンス(フランス語版)は反バレエ、あるいは脱バレエ的な試みであった。その形成にはマース・カニンガムピナ・バウシュ、フランスで「グループMA」をつくって活動した矢野英征(フランス語版)(1943年 - 1988年)らの影響があると考えられている。

1990年代に入ると、新しい表現方法の追求にこだわる振付家が増え、映像、音響、照明、美術、ITを大規模かつ複合的に導入する事例がみられるようになった。同時にストリートダンスや日本の舞踏、ヌーボーシルク、タンツ・テアター的手法が取り入れられるに至り、名称もコンテンポラリー・ダンス[4]へと変化した。CINRA Netは音楽とダンスを融合したイベントを開催したりしており、ダンサー康本雅子が出演したイベントもあった[5]


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