コンチネンタル航空
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コンチネンタル航空
Continental Airlines

IATA
COICAO
COAコールサイン
CONTINENTAL

設立1934年 (Varney Speed Lines として)
ハブ空港ヒューストン・インターコンチネンタル空港
ニューアーク国際空港
グアム国際空港
マイレージサービスOnePass
会員ラウンジPresidents Club
航空連合スカイチームスターアライアンス(2009年10月 - )
親会社United Continental Holdings Inc.
保有機材数372機
就航地292都市
本拠地イリノイ州シカゴ市
代表者Larry Kellner (CEO), Jeff Misner (CFO)
外部リンクウェブアーカイブ
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コンチネンタル航空(コンチネンタルこうくう、Continental Airlines)は、かつて存在したアメリカ合衆国航空会社。2010年10月、ユナイテッド航空と持株会社方式で経営統合し、2012年3月にユナイテッド航空と完全統合されて消滅した[1]。合併時には米国第4位の規模を誇る大手航空会社であった[2]
概要Continental Center I - コンチネンタル航空の旧本社 - ダウンタウン・ヒューストン[3]ハブ空港の一つ。ヒューストンのジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港

本部はアメリカ合衆国テキサス州ヒューストン市。国際線は、カナダ中南米欧州日本中国香港インドへ就航していた。ヒューストンニューアークニューヨーク)を拠点とした中米カリブ海方面の路線に非常に強く、全米でも最大級の本数を運航していた。

本社・ハブ空港は共にヒューストンに置かれているが、ニューアーク国際空港もそれに次ぐ規模を持つ大型ハブ空港であった。これは、1987年にニューアークをハブとして東海岸路線に就航していたピープル・エキスプレスを買収した際に得た権利をそのまま引き継いだものである。

また、グアムをベースにハワイポリネシアミクロネシアオーストラリア東南アジアを結んでいたミクロネシア航空を子会社化し、コンチネンタル・ミクロネシアとしてそれらの路線を運航していた。

2007年当時には、有償旅客マイルにおいて世界で4位の規模を誇っていた[4]。統合時点でのキャッチコピーは"Work Hard, Fly Right."。

なお、ノースウエスト航空が出資していた関係もあり、スカイチームの前身のひとつであるKLM-ノースウエスト連合に参加していたことや(ウイングス・アライアンスを参照)、コードシェア便を運航するなど、同社との関係は特に深かった(ノースウエスト航空はコンチネンタル航空の議決権を左右する株式、通称・ゴールデンシェアを保有していたが2008年4月に同社はデルタ航空との合弁を発表し100ドルでその権利をコンチネンタル航空に売却した)。
社風

同社の特徴として、社内情報の徹底的な公開を行なっているという点が挙げられた[注釈 1]。本社・支社および空港の同社事務所には、アメリカ国外も含めた全ての部署に「Go Forward Plan Board」と称される掲示板が設置されており、前日の定時到着率、搭乗率、手荷物の紛失件数、さらには社内の大きな出来事[注釈 2]などが掲示されている。またエレベーターホールなどのように、待ち時間が生じるような箇所では、電光掲示板や液晶ディスプレイなどが設置されており、定時到着率・搭乗率・株価情報などが流されており、1分程度で同様の情報が得られるようになっている[7]。これらの情報公開により、どの社員でも会社が現在どのような状況になっているかが分かるようになっている。また、社内伝達事項は毎日メールで送信されるほか、毎週金曜日には各社員の電話に会社についての情報をCEO自らメッセージを録音する「ボイスメール」というシステムも採用されている[8]。これらのことから、同時多発テロ後のレイオフ(一時帰休)や賃金一部カットの際には、経営陣が考えていたよりも労働組合との交渉は順調だったという[8]

同社では部長職以上には個室が与えられるが、個室のドアは在席中は開けたままにしておくことになっている[9]。これは1994年に同社社長に就任したゴードン・ベスーンが考えたことで、経営陣と社員のコミュニケーションを容易に図ることが出来るようにするためという。

特徴的な社内制度としては、後述する定時到着ボーナスのほか、無遅刻無欠勤の社員に対しては半年に一度、抽選でフォード・エクスプローラーの特別仕様車が贈呈されるというものがあった[8]
沿革
創業期ヒューストンのコンチネンタルセンターTとKBRタワー

ウォルター・T・ヴァーニーとルイス・ミューラーによって、「Varney Speed Lines」として1934年に設立されたのが始まりである。1934年7月15日運航開始された時点では、テキサス州エルパソコロラド州プエブロニューメキシコ州アルバカーキサンタフェ、およびラスベガスを結ぶ路線であった。1937年7月1日に社名を「コンチネンタル航空」に変更し、同年10月には本社をエルパソからデンバーに移転した。

1953年12月10日にはパイオニア航空と合併、テキサス州とニューメキシコ州の16都市に新たに乗り入れた。1957年にはシカゴロサンゼルスを結ぶ路線で「Gold Carpet Service」を開始した。1959年6月8日には、コンチネンタル航空初のジェット旅客機としてボーイング707-120の運航を開始。ボーイング707を週7日、1日16時間運航に充当するべく、当時としては革新的かつ進歩的なメンテナンスプログラムを導入している。
成長期ボーイング727

1963年7月、本社をロサンゼルスに移転した。この時期、ベトナム戦争に赴く米軍の輸送にも関わっている。この時の太平洋の輸送経験を基にして、1968年にはミクロネシア航空としてミクロネシアの輸送に進出することになった。サイパンからホノルルまで、7つの島を経由しながら4000マイル以上の距離を結ぶ路線は、「Ju Ju」という愛称が付与されたボーイング727-100により運航された。同年には、金・赤・オレンジ色の3色となった新しいコーポレートアイデンティティを導入した。ボーイング747-224マクドネル・ダグラスDC-10DC-10のファーストクラス


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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