コンチタ・マルティネス
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スペインの女子テニス選手コンチタ・マルティネス・グラナドス(英語版)とは異なります。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はマルティネス、第二姓(母方の)はベルナットです。

コンチタ・マルティネス
Conchita Martinez


コンチタ・マルティネス
基本情報
フルネームInmaculada Concepcion
Martinez Bernat
愛称コンチタ
国籍 スペイン
出身地ウエスカ県モンソン
生年月日 (1972-04-16) 1972年4月16日(52歳)
身長170cm
体重59kg
利き手右
バックハンド片手打ち
殿堂入り2020年
ツアー経歴
デビュー年1988年
引退年2006年
ツアー通算46勝
シングルス33勝
ダブルス13勝
生涯通算成績1153勝529敗
シングルス739勝297敗
ダブルス414勝232敗
生涯獲得賞金$11,527,977
4大大会最高成績・シングルス
全豪準優勝(1998)
全仏準優勝(2000)
ウィンブルドン(英)優勝(1994)
全米ベスト4(1995・96)
優勝回数1(英1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪ベスト4(1998・2002)
全仏準優勝(1992・2001)
ウィンブルドン(英)ベスト8(1995・2003)
全米ベスト4(2005)
国別対抗戦最高成績
BJK杯優勝(1991・93-95・98)
キャリア自己最高ランキング
シングルス2位(1995年10月30日)
ダブルス7位(1993年1月11日)
獲得メダル

女子 テニス
オリンピック
1992 バルセロナダブルス
2004 アテネダブルス
1996 アトランタダブルス

■テンプレート  ■プロジェクト テニス

インマクラーダ・コンセプション・"コンチタ"・マルティネス・ベルナット(Inmaculada Concepcion "Conchita" Martinez Bernat, 1972年4月16日 - )は、スペインウエスカ県モンソン出身の女子プロテニス選手。1994年ウィンブルドン女子シングルス優勝者である。1歳年上のアランチャ・サンチェス・ビカリオとともに、長年にわたりスペインの女子テニス界をリードしてきた2強豪であった。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス7位。WTAツアーでシングルス33勝、ダブルス13勝を挙げた。身長170cm、体重59kg、右利き。コンチタは、コンセプションの愛称形のコンチャに縮小辞が付いたものである。「マルチネス」の表記揺れも多い。
来歴

1988年2月にプロ入りし、すぐに世界的な活躍を始める。1989年全仏オープンに17歳5ヶ月で初優勝したサンチェスに刺激されて、マルティネスもめきめきと頭角を現した。赤土の多いスペインで育った選手らしく、マルティネスも長い間“クレーコート巧者”の印象が強かったが、1994年に芝生のウィンブルドン選手権で初の4大大会決勝進出を果たす。その決勝戦で、マルティネスは同選手権で10勝目を狙ったマルチナ・ナブラチロワを 6-4, 3-6, 6-3 のフルセットで破り、スペインの女子テニス選手として最初のウィンブルドン優勝者になった。当時37歳のナブラチロワはこの大会を「最後のウィンブルドン出場」にすると明言していたが、ここで“有終の美”を飾ることはできなかった。

1995年にマルティネスは世界ランキングを自己最高の2位に上げ、すべての4大大会で準決勝に勝ち残った。通算対戦成績でシュテフィ・グラフに1勝13敗、モニカ・セレシュに1勝20敗と分が悪く準決勝で敗退することが多かった。

1998年全豪オープンで4年ぶり2度目の4大大会決勝進出を果たしたが、当時17歳の最年少女王マルチナ・ヒンギスに 3-6, 3-6 で敗れる。2000年全仏オープンで3度目の4大大会決勝に進出した時は、地元フランスマリー・ピエルスに 2-6, 5-7 で敗れた。マルティネスは2度、4大大会2冠のチャンスを逃したことになる。

サンチェスとマルティネスのコンビは、女子国別対抗戦・フェドカップにて無敵の強さを発揮した。1991年1993年-1995年の3連覇、1998年の5度優勝を飾っている。3連覇を達成した時期は、2人の選手生活の全盛期でもあった。最後の1998年には決勝でスイスジュネーヴに行き、敵地でマルチナ・ヒンギスパティ・シュナイダーのコンビを破って優勝した。

ライバルのサンチェスが2002年に31歳で現役を引退した後、マルティネスは2004年アテネ五輪女子ダブルスで、ビルヒニア・ルアノ・パスクアルとのペアで銀メダルを獲得した。女子ダブルス決勝では、中国ペアの李?&孫甜甜組に 3-6, 3-6 のストレートで敗れている。2005年度もシングルス1勝とダブルス2勝があったが、2006年4月15日、34歳の誕生日の前日に現役引退を表明した。同性愛者であることが報道されている[1]

マルティネスは2020年に国際テニス殿堂入りを果たした。
WTAツアー決勝進出結果
シングルス: 55回 (33勝22敗)

大会グレード
グランドスラム (1?2)
ツアー選手権 (0?0)
ティア I (9?4)
ティア II (7?10)
ティア III (5?4)
ティア IV & V (11?2)

結果No.決勝日大会サーフェス対戦相手スコア
優勝1.1988年8月8日
ソフィアハード (室内) バルバラ・パウルス6?1, 6?2
優勝2.1989年2月6日 ウェリントンハード ジョー=アン・ファウル6?1, 6?2
優勝3.1989年4月17日 タンパクレー ガブリエラ・サバティーニ6?3, 6?2
準優勝1.1989年5月28日 ジュネーヴクレー マニュエラ・マレーバ=フラニエール4?6, 0?6
優勝4.1989年9月11日 フェニックスハード エリス・バージン3?6, 6?4, 6?2
準優勝2.1989年10月22日 バイヨンヌハード (室内) カテリナ・マレーバ2?6, 2?6
優勝5.1990年9月17日 パリクレー パトリシア・タラビーニ7?5, 6?3


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