コンタックス
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この項目では、カメラ・レンズの光学製品について説明しています。医薬品の「コンタック」については「グラクソ・スミスクライン」をご覧ください。

コンタックス(Contax 、CONTAX )は、カメラのブランドとカメラの一つ。ドイツツァイス・イコンレンジファインダーカメラのブランドおよびカメラならびにカール・ツァイスと日本のカメラメーカーヤシカとの共同事業として1975年に販売が開始されたカメラのブランドおよびそのカメラ。前者の用法では頭文字のみ大文字で表記され、後者の用法では全て大文字で表記される。
概要
ツァイス・イコンのブランド

このブランド名は1932年3月コンタックスI発売に際してツァイス・イコン社内の公募で1位となり定められた。ちなみに当時自動車用アクセサリーの製造も行なっており、その回転計の名称がコンタックスだったという。ツァイス・イコンの母体となった4社から少なくとも1文字を採って組み合わせたという説もあるが、竹田正一郎は「コンテッサ・ネッテル社に分が良すぎる」として否定している[1]

戦後ドイツ分割に伴いツァイス・イコンも分割され、コンタックス銘で西側のツァイスはレンジファインダーカメラを引き続き製造し、東側のツァイス・イコンはM42マウントの一眼レフカメラを製造した。

東西ツァイス間のブランド使用権を巡る訴訟を経て従来の商標につき東のツァイスは東側のみ、西のツァイスは西側のみでしか使用しないことで妥結した結果、東側のツァイス・イコンが製造したコンタックスは西側世界で販売される分につきペンタコンブランドに変更され、さらには全てプラクチカに変更された。西側のツァイス・イコンが製造したコンタックスは最終型であるコンタックスIIIaが1961年に製造中止になった後、ツァイス・イコンのフラッグシップは1960年に発売された一眼レフカメラコンタレックスシリーズに引き継がれ、コンタックスは一時休眠ブランドとなった。
ヤシカ・京セラのブランドとして復活

西側のツァイス・イコンが1971年にカメラ事業を中止した後、カール・ツァイスは日本のカメラメーカーヤシカとブランド等に関するライセンス契約を締結し、以後コンタックス(CONTAX )はヤシカが製造・販売するカメラのうちカール・ツァイスブランドのレンズを採用した高級機種に付けられるブランド名となって復活した。1983年ヤシカは京セラに吸収合併され、コンタックスブランドも同社へ引き継がれた。

2004年京セラはカメラ事業を縮小し、併用していた「京セラ」ブランドのデジタルカメラを廃して「コンタックス」(CONTAX)に統一すると発表した。しかし直後の2005年に京セラはコンタックスを含むカメラ事業から撤退することとなり、4月11日には同年9月のコンタックス事業終了が発表され、コンタックスは再び休眠ブランドとなっている。アフターサポートは継続していたが、2015年4月30日の受付をもって補修サービスを終了した[2]
ツァイス・イコンの製品
レンジファインダーのコンタックス

ライカ判レンジファインダーカメラ。外装デザインは角型を基調とする。連綿と製造改良を続け、カメラのトップブランドの一つとしてライカに比肩するシステムを持つようになった。
ボディ

当時の新素材であるジルミン系アルミ合金ダイカストを採用し、レンズマウントを取り付けてから基準面に合わせてフィルムレールを研削する最新の工法が採用され、ゾナー5cmF1.5のような大口径レンズであっても必要充分な精度が保証されていた。シャッターは当初最高速1/1000秒、後に1/1250秒を誇る縦走り金属製フォーカルプレーン式で、シャッター幕上に強い光線が焦点を結んでも焼けて穴が開く心配がない。スリット幅を厳密にセットした状態で巻き上げ軸に巻き上げられておりシャッターボタンを押すとそのままの幅でフィルムゲート面を通過する方式で、後幕にストッパーなりガバナーなりを噛ませて制御するライカ方式と比較して正確なシャッター速度が出しやすい。縦走りを採用したのは、短辺を走ることでシャッター作動を短時間で完了させ移動している被写体の変形を少なくするため。幕は当時の新素材であり破断に強いジュラルミンに銅を少量加えアルミニウム皮膜を施して使用され、ジュラルミンでは軽すぎて充分な慣性重量が得られなかったため後に真鍮に変更された。シャッター作動時にもシャッターダイヤルが回転しないためカメラマンが触っていて設定よりスローシャッターになってしまう事故が起こらない。レンズマウントは標準レンズ用の内バヨネットとその他のレンズ用の外バヨネットの二重バヨネットであり、迅速なレンズ交換が可能である[3]。裏蓋下側両端にあるノブを起こして回転させると裏蓋を外すことができ、フィルム装填が容易。巻上スプールは最後までボディーに固定されなかったので紛失の可能性がある。もし紛失したり購入した中古に付属しなかったりした場合は、フィルム冒頭部のカットは必要になるものの、DPE店で廃棄されている現代パトローネを分解すれば中に存在する巻戻スプールを若干小改造することで代用できる。ただしIIa/IIIa型では、スプールに挿入される巻き上げ軸の外側に板バネが付けられたため、多少の振動ではスプールが脱落しないようになった。I

コンタックスI(Contax I 、1932年3月発売[4][5]) - 発売時の名称は単にコンタックスで、コンタックスII発売に伴いコンタックスIとされた[5]エマヌエル・ゴルトベルク主導のもとハインツ・キュッペンベンダー博士を中心にフラッグシップ機として設計された。長大な基線長の高精度な連動距離計を持ち、テッサー2.8cmF8を除きすべての交換レンズに連動する。距離計可動鏡は精密なギアシステムにより駆動されているが、小さい体積に詰め込んだためシャッター巻き上げドラムの体積が小さくなってしまい、完全主義による複雑な設計と相まって故障発生確率を高くしている。ファインダー倍率は約0.5倍で50mmに対応する他、新品購入時に引き出し式の85mmか135mmのマスクがついて来た。距離計の視野が135mmに近いので、ファインダーマスクが85mmの個体を購入すれば3種類の焦点距離に対応できる。その外装色からブラック・コンタックスと俗称された。コンタックスはその設計コンセプトが「作画意図の高忠実再現」であり、ツァイス・イコンが持てる技術力を投入して開発し、そのため撮影結果は当時の24×36mm(ライカ)判カメラの中で最高である一方、非常に高価だった。初期型以降改良を重ね、研究者にも数えきれない程多数のバージョン違いがあり、また、コンタックスのシリアルナンバーはライカのような通し番号ではなく頭にアルファベット2文字がつきその順番が分からないこと、本社が第二次世界大戦で甚大な被害を受け資料が残っていないことから製造時期の確定が困難なこともあり、研究者により見解の相違がある。ハンス・ユルゲン・クッツは以下のI-1?I-7に分類している。

I-1型 - シャッター速度はZ、1/25秒、1/50秒、1/100秒、1/200秒、1/500秒、1/1000秒。クリックストップがあるが中間シャッター速度も使用できる。距離計の鏡は可動鏡と固定半透明鏡ともに銀メッキで基線長101.7mm。

I-2型(1932年10月発売) - 距離計の固定半透明鏡が金メッキとなり、これによりピントがずれている時のコントラストが高くなり見やすくなった。

I-3型(1933年6月頃発売) - 従来スリット幅だけで行なっていた露光時間制御を、幕速も変更して行なうようになった。長時間グループZ、1/2秒、夜間撮影グループが1/5秒、1/10秒の2グループに別れたスローシャッターが追加[3]され、通常撮影グループ1/25秒、1/50秒、1/100秒と高速撮影グループ1/100秒、1/200秒、1/500秒、1/1000秒の全部で4グループとなった。1/100秒が通常撮影グループと高速撮影グループの2グループに含まれているのは、よく使用する速度でありグループ変更の面倒を少しでも減らすためである。シャッター速度を決定する場合は巻き上げノブ基部にあるローレットを回して幕速=グループを決め、その後巻き上げノブを持ち上げて回し最外部に現れるスピードの場所に落とし込むことになる。

I-4型(1933年後期) - 三脚取り付け金具がコンタックスIIと同様の折り畳み式となった。

I-5型(1934年中期) - ZをBと表示するようになった。ライカのパテントを避けるため「距離計外側ファインダー内側」を「距離計内側ファインダ?外側」に変更し基線長が93mmに短縮されたが、距離計が回転楔型プリズムを使用するドレーカイル(Drehkeil )式となり、精度が格段に向上した[5]。またダイキャストが変更され、板金だったアクセサリーシューが切削加工品になっている。

I-6型(1935年初期) - 無限遠ロック解除レバーが無限遠以外では下がったままになった。

I-7型(1935年後期) - シャッター最高速が1/1250秒となった[3]。ただし本当に実在するか議論があり、1988年現在実在説が有力ではあるものの確認されていない[6]

これだけでも製造期間を考えると半年に一度は改良されていたことになり、また内部構造を見ると少なくとも3ヶ月に1度改良されているという。販売部門から開発部門に苦情が殺到したと言われ[誰によって?]、あるカメラ研究家は「開発の子宮から無理に引っぱり出されたような」カメラであると評している。

短所は巻上げノブがボディ前面にあるため速写性に欠けて回しにくいこと、巻き上げ・巻き戻しがライカと比べ重いこと、またシャッター速度設定時に誤ると故障の原因になる事がある。1936年まで製造され1938年まで販売された。総生産台数約36,700台。II

コンタックスII(Contax II 、1936年発売[7][3]) - フーベルト・ネルヴィンが主になって設計した。その外装色からクローム・コンタックスと俗称される。コンタックスIと比較すれば短くなったものの基線長38mmのライカに比して格段に精度の高い基線長89.5mm、ファインダー倍率0.7倍、有効基線長約63mmで半円型プリズムを使用するシュヴェンクカイル(Schwenkkeil )式連動距離計を組み込んだメスズハー(ドイツ語Messucher )ファインダーを採用し速写性に優れる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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