チリの政党コンセルタシオン・デモクラシア
Concertacion de Partidos por la Democracia
コンセルタシオンのロゴ
成立年月日1989年7月6日
解散年月日2013年4月30日
後継政党新多数派
チリ共和国下院議席数54 / 120 (45%)(2010年)
チリ共和国上院議席数19 / 38 (50%)(2010年)
政治的思想・立場中道左派 キリスト教民主主義 社会民主主義 社会改良主義
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コンセルタシオン・デモクラシア、または単にコンセルタシオン(Concertacion de Partidos por la Democracia)は、かつて存在した、チリの中道?中道左派政党連合の名称である。正式には民主主義のための政党盟約(コンセルタシオン)と称する。アウグスト・ピノチェト将軍の軍事独裁政権が終わりを告げた1989年以来、2010年まで一貫して政権を握っていた。下野中であった2013年に、新多数派(しんたすうは、スペイン語:Nueva Mayoria)へと改組した。 コンセルタシオンは、軍事政権の延長の是非を問うため1988年10月に行われた国民投票に際し、軍政延長反対派のキリスト教民主党やチリ社会党及び“民主主義のための政党”など16政党が統一協定を結び同年2月に結成された「ノーをめざす運動本部」(Concertacion por el No)を母体として、1989年7月6日に結成された。 1989年12月の大統領選挙にてキリスト教民主党のパトリシオ・エイルウィンを統一候補として擁立し、軍政支持派に勝利した。それ以来、1993年のエドゥアルド・フレイ(キリスト教民主党)、1999年のリカルド・ラゴス(チリ社会党・民主主義のための党)、2005年ミシェル・バチェレ(チリ社会党)と、4回の大統領選挙に勝利している。しかし2009年の大統領選挙では中道右派の政党連合「変革のための同盟」が推すセバスティアン・ピニェラが勝利し、野党に転じた。 野党に転じたあと、コンセルタシオンを構成する「民主主義のための政党」から、同連合の枠外の政党(地方独立党
沿革
コンセルタシオンを構成していたのは以下の各政党である。
キリスト教民主党 Partido Democrata Cristiano de Chile, (PDC)
チリ社会党 Partido Socialista de Chile, (PS)
民主主義のための政党 Partido por la Democracia, (PPD)
急進社会民主党 Partido Radical Socialdemocrata,(PRSD)
出典^ 在チリ日本大使館編チリ情報「 ⇒11月の当国政情(内政・外交)」
^ なお2009年の下院選挙では、チリ共産党がコンセルタシオンと選挙協力を実施し、3議席を獲得している。
⇒チリ年表 人民連合圧殺の時代?1973年9月のクーデター直後から1988年10月の国民投票、1989年12月の大統領選挙までの政治的出来事が紹介されている。
関連項目
チリ・クーデター
チリ大統領の一覧
表
話
尊厳承認
チリ共産党 - 社会融合党 - 民主革命党 - 共同党 - 人道主義者行動党 - 社会緑の地域主義連合
民主社会主義
チリ社会党 - 民主主義のための政党 - チリ自由党 - チリ急進党
チレ・バモス
民主党 - キリスト教民主党 - 人民党 - 人道主義者党 - チリ黄色の党 - 緑のエコロジスト党
代議院に議席を有する政党のみ。
Portal:政治学 - Category:各国の政党 - チリの政治
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