コンスタンディノス・カラマンリス
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この項目では、20世紀後半にギリシャの首相、大統領を務めた政治家について説明しています。2000年代にギリシャの首相を務めた政治家(本記事の人物の甥)については「コスタス・カラマンリス」をご覧ください。

コンスタンディノス・カラマンリス
Κωνσταντ?νο? Καραμανλ??

1978年
ギリシャ
第3・5代大統領
任期1980年5月10日 ? 1985年3月10日
1990年3月4日1995年3月10日
首相ゲオルギオス・ラリス
アンドレアス・パパンドレウ
クセノフォン・ゾタキス
コンスタンディノス・ミツォタキス
アンドレアス・パパンドレウ
ギリシャ王国
第147・149・151・166代首相
任期1955年10月6日 ? 1958年3月5日
1958年5月17日 ? 1961年9月20日
1961年11月4日 ? 1963年6月17日(ここまで君主制)
1974年7月24日1980年5月10日(共和制移行後)
国王[1]
大統領[2]パウロス1世
フェドン・キジキス
ミハイル・スタシノプロス
コンスタンディノス・ツァツォス

出生1907年3月8日
オスマン帝国 プロティ(ギリシア語版)
死去1998年4月23日(91歳没)
ギリシャ アテネ
政党人民党(ギリシア語版)(1935 - 1950)
ギリシャの警報(ギリシア語版)(1951 - 1955)
国民急進党(ギリシア語版)(1956 - 1963)
新民主主義党(1974 - 1995)
出身校アテネ大学
配偶者アマリア・メガパヌ
子女無し
署名

コンスタンディノス・カラマンリス(ギリシャ語: Κωνσταντ?νο? Καραμανλ??, ラテン文字転写: Konstantinos Karamanlis; 1907年3月8日 - 1998年4月23日)は、ギリシャ政治家首相大統領を務めた。なお名前の「コンスタンディノス」は「コンスタンティノス」の現代ギリシャ語形である。
前半生

1907年3月8日にギリシャ北部のセレス地方で誕生した。父のゲオルギオスは教師を務め、20世紀始めのマケドニア地方のギリシャ併合運動に参加していた。マケドニア地方で子供時代を過ごした後、アテネで法学を勉強した。セレスに戻り弁護士として働き始めた彼は、保守政党の人民党(ギリシア語版)に入党し、28歳の時に第二次世界大戦前最後の選挙であった国政選挙で当選した。
第一次政権

第二次世界大戦後、カラマンリスは政界で頭角を現し、アレクサンドル・パパゴス首相の時に公共事業省大臣となった。1955年にパパゴスが死去した。後任にはステファノス・ステファノプロスやパナギオディス・カネロプロスなどの重鎮が指名されると見られていたが、国王パウロス1世は周囲の予想に反してカラマンリスを首相に指名した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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