コンスタンティン3世
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この項目では、伝説的なアーサー王の後継者について説明しています。東西ローマ帝国分裂初期の僭称皇帝「コンスタンティヌス3世」については「コンスタンティヌス3世」を、東ローマ帝国の皇帝「コンスタンティノス3世」については「コンスタンティノス3世」をご覧ください。

コンスタンティン(英語: Constantine、6世紀)は、イングランド西南部・ドゥムノニアの王。ラテン語ではコンスタンティヌス(ラテン語: Constantinus)。ウェールズ語ではキステニン・コルネイ(ウェールズ語: Custennin Corneu、「コーンウォールのコンスタンティン」の意)。実在のコンスタンティンは一地方の王に過ぎず暴君であったが、後に聖人伝説が作られ、さらにアーサー王伝説に組み込まれて聖王アーサーの後継者、全ブリテンを統べる王コンスタンティン3世(英語: Constantine III)として伝えられるようになった。
暴君コンスタンティン

コンスタンティンの行状は、同時代人のギルダスが著した『ブリトン人の没落』によって報告されており、アーサー王伝説の登場人物としては数少ない、一次史料が現存して実在が確実な人物である。

ギルダスは『ブリトン人の没落』の中で五人のブリテンの暴君を糾弾しているが、ドゥムノニア王コンスタンティンについては「ダムノニア(ドゥムノニア)の不浄な雌獅子から産まれた暴虐な仔獅子」と仇名している[1]。ギルダスが同書を著述中のまさにその年、コンスタンティンは、直前に住民に対して何らの不正行為もしないと神前に誓いをしていたにもかかわらず、大修道院長の僧服を着て僧侶に扮し、剣とジャベリンを使って教会の祭壇の前で二人の若い王族を殺害したという[1]。また、さらにその何年も前から、既婚者であるのに、コンスタンティンは複数の女性と姦通をしていた[1]

ギルダスはコンスタンティンを「なぜ自分から地獄の業火に焚べられに行かないのか?」等、激しく非難しつつも、神は咎人が死ぬことよりも生きて回心することを望んでいるとし、悔い改めることを勧めている[2]

トーマス・オサリヴァンは、コンスタンティンをウェールズ語文献のキステニン・コルネイという人物に比定し、活躍期は西暦520年から523年と推定している[3]。キステニンは、テオドシウス1世の時代のブリタンニア司令官・僭称ローマ皇帝マグヌス・マクシムス(在位383年-388年)に仕え、土地を与えられたカナン・マプ・エイダフ・ヘン(ウェールズ語: Cynan map Eudaf Hen)(ブルターニュの伝説的建国者コナン・メリアドクのウェールズ語名)の来孫(孫の曾孫)であるという[3]。『聖人の系図(英語版)』の幾つかの写本によれば、キステニンの父はカンヴァウア、子はエルビンで、エルビンの子はゲライントである[4]。このゲライントは初期のアーサー王伝説の登場人物で、『エルビンの息子ゲライントの物語』や『ゲライントとエニッド』など数篇のマビノギオンの主人公である。
聖コンスタンティンコーンウォール州コンスタンティン教区の聖コンスタンティン教会(15世紀)

その後、伝説では、コンスタンティンは罪を悔い改めて修道士になり、聖コンスタンティンと讃えられるようになった。しかし、これには幾つかの人物との混同があるという説がある。

10世紀に書かれた『カンブリア年代記』によれば、西暦589年に、コンスタンティヌスなる人物が神に悔い改めたという[5](ちなみに、『カンブリア年代記』ではアルトゥル(=アーサー王)の没年は西暦537年である)。また、デヴォン州コーンウォール州には聖コンスタンティン由来の少なくとも五つの教区が現存する[5]。多くの人はこれをギルダスがコンスタンティンを叱責した成果だと考えている[5]。また、11世紀の僧侶リケマルクス(英語版)は、『聖デイヴィッドの生涯』で、コーンウォール人の王コンスタンティヌスが、聖デイヴィッドに帰依して王位を捨て、僧籍に入ったと伝えている[6]

トーマス・オサリヴァンによれば、コンスタンティンは当時よくある名前で、聖コンスタンティンは少なくとも二人のコンスタンティン、北のコンスタンティンと南のコンスタンティンが混同された結果であるという[7]。「北のコンスタンティン」は6世紀末のストラトクライド(英語版)の王子コンスタンティンで、『カンブリア年代記』に記載されているのはこちら[7]。「南のコンスタンティン」は『聖デイヴィッドの生涯』に登場するコンスタンティンで、おそらくは6世紀初頭の本項目のコンスタンティンと同一人物であるが、あるいはこれもまた別の人物と混同された可能性もあるとしている[7]
ブリテン王コンスタンティン3世


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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