コンスタンス・ダルル
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コンスタンス・ダルル
Constance d'Arles
フランス王妃

在位1001年 - 1031年

出生986年
アルル王国アルル
死去1032年7月25日
フランス王国ムラン
埋葬フランス王国サン=ドニ大聖堂
結婚1001年
配偶者フランス王ロベール2世
子女アデライード
ユーグ
アンリ1世
アデル
ロベール1世
ウード
コンスタンス
家名プロヴァンス家
父親プロヴァンス伯ギヨーム1世(英語版)
母親アデライード・ダンジュー
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コンスタンス・ダルル(Constance d'Arles, 986年 - 1032年7月25日)は、フランス王ロベール2世の3番目の妃。

コンスタンス・ド・プロヴァンス(Constance de Provence)とも呼ばれる。
略歴

父はアルル伯およびプロヴァンス伯ギヨーム1世(英語版)、母はその2番目の妻でアンジュー伯フルク2世の娘のアデライードである。

1031年、夫ロベール2世が死去し、次男アンリ1世が単独の王となったが、コンスタンスは息子達の中ではアンリよりも他の息子三男ロベールと四男ウードを愛し、2人の息子に反乱を起こさせた。アンリ1世はロベールにブルゴーニュ公位を与えることでこれを鎮めた[1]

1032年、ムランで死去した。
子女

1001年にロベール2世と結婚し、7人の子をもうけた。

アデライード(またはアリックス, エドヴィージュ)(1003年頃 - 1063年以降) - ヌヴェールルノー1世と結婚

ユーグ(1007年 - 1025年) - フランス共同統治王

アンリ1世(1008年 - 1060年) - フランス王

アデル(1009年 - 1063年) - ノルマンディー公リシャール3世と結婚、のちフランドル伯ボードゥアン5世と結婚

ロベール1世(1011年 - 1076年) - ブルゴーニュ公

ウード(1013年 - 1056年)

コンスタンス(1014年 - ?)

脚注^ レジーヌ・ペルヌー 『中世を生きぬく女たち』 白水社、1988年、p. 288。










フランス后妃
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