コンゴ民主共和国の世界遺産
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ヴィルンガ国立公園で撮影されたガゼル

ユネスコ世界遺産リストに登録されているコンゴ民主共和国の世界遺産(コンゴみんしゅきょうわこくのせかいいさん)は5件あり、いずれも自然遺産である。コンゴ民主共和国アフリカ大陸で2番目に大きな国土を持ち、固有種絶滅危惧種も多く生息する貴重な生態系が多く残っていることもあって、自然遺産の保有件数はアフリカでは1位である[注釈 1]。しかし、近隣諸国の武装勢力の流入も含む政情の不安定さや財政基盤の弱さ、それらによる密猟や違法な森林伐採・資源盗掘などへの対応の不十分さといった問題があり、全ての世界遺産が「危機にさらされている世界遺産」(危機遺産)に登録されている。1か国に存在する危機遺産の数はシリアの世界遺産(6件)についで多い(データはいずれも2013年の第37回世界遺産委員会終了時点)。
総説

コンゴ民主共和国の世界遺産条約批准は1974年9月23日のことであった[1](当時の国名はザイール共和国[注釈 2])。1980年から1987年には世界遺産委員会の委員国を務めていた[1]

コンゴ民主共和国内にはヒガシローランドゴリラボノボコンゴクジャクオカピなどの固有種が棲息し、キタシロサイやコンゴキリンの希少な棲息地域も含んでいる[2]。こうしたことから、自然遺産への推薦が優先的に行われてきた。世界遺産リストは1978年に12件が登録されたところから始まったが、その翌年にはコンゴ民主共和国初の世界遺産としてヴィルンガ国立公園が登録されている。ヴィルンガ国立公園はコンゴ経済が比較的安定していた1970年代には多くの観光収入を稼ぎ出しており、当時のコンゴ民主共和国の財政収入の約3割はそこからのものだったといわれている[3]

1980年にはさらにガランバ国立公園カフジ=ビエガ国立公園が登録されたが、前者は1984年に危機遺産リストに登録された[4]。同じ1984年にはサロンガ国立公園が世界遺産リストに登録されたが、同時に推薦されていたマイコ国立公園(英語版)とクンデルング国立公園(フランス語版)は「不登録」の決議が下された[5]

ガランバ国立公園は1992年に一度は危機遺産リストから除外されたものの[6]、1996年に再び危機遺産リストに加えられた[7]。その2年前にはヴィルンガ国立公園も危機遺産リストに加えられており[8]、1997年にはカフジ=ビエガ国立公園も危機遺産リスト入りした[9]。.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}Virunga NPGaramba NPKahuzi-Biega NPSalonga NPOkapi WR コンゴ民主共和国の世界遺産[注釈 3]

1994年以降の相次ぐ危機遺産リスト入りは隣国ルワンダの紛争が影響しており[2]、近隣諸国の武装勢力の流入などによって第一次コンゴ戦争(1996年)、第二次コンゴ戦争(1998年)が勃発すると、大量の難民の発生と相俟って保護環境はさらに悪化した。これらの紛争の主戦場はウガンダルワンダの国境に近いコンゴ北東部であり、後述するようにサロンガ国立公園以外の世界遺産はすべてその地域に存在している。世界遺産基金の助成を受けて推薦にこぎつけ、1996年に登録されたオカピ野生生物保護区もコンゴ北東部に存在しており、登録の翌年には危機遺産リスト入りした[9]

地域紛争などによる混乱は、公園監視員の殺傷事件といった直接的脅威だけでなく、国立公園設定の問題点も浮き彫りにした。たとえば、カフジ=ビエガ国立公園の場合、国立公園が設定された結果、地域住民が国有化された敷地から追い出されてしまっていた。こうした経緯で政府の対応に不満を持っていた人々は、混乱によって監視体制がまともに機能しなくなると、自然資源の保護よりも収奪を優先したのである[10]

コンゴ北東部は森林資源も地下資源も豊かなことが、かえって情勢の不安定化に拍車をかけている。コンゴ北東部に多く茂る熱帯雨林では、地域の主要なエネルギー源のひとつとして需要がある木炭を作るために、不法な伐採を行う者たちが後を絶たない。隣国ルワンダが自国内の木を使った木炭生産を禁じていることも、こうした傾向に影響している[11]。また、地下資源では、携帯電話などの電子機器に使用されるレアメタルの一種、コルタンが採掘できる上、の代替品として需要が高まったの採掘地でもある[12]

1997年時点で危機遺産に登録された4件はいずれもコンゴ民主共和国北東部にあったのに対し、サロンガ国立公園は国内中央部に位置し、地域紛争の影響を比較的受けづらい状況にあった[13]。しかし、サロンガ国立公園も密猟や住宅建設による保護環境の悪化を理由として1999年に危機遺産に登録され、国内の世界遺産がすべて危機遺産リストに登録されたのである。

このとき、世界遺産センターは各種NGOとも連携しつつ、保護を支援し続けていくことを決定し、国際連合財団(英語版)やベルギー(コンゴ民主共和国の旧宗主国)からの資金などで、積極的な保護・監視活動に乗り出した[14]。活動資金からは、給与未払いの中で危険な監視活動に当たっていた現地の公園監視員の給与や新装備の費用が拠出された[14]。あわせて欧州宇宙機関と連携し、人工衛星から植生の状況を監視することも始めた[15]

また、ユネスコが前面に出て積極的に国際社会でアピールするとともに、世界遺産条約を引き合いに出してコンゴ民主共和国の政治家や軍当局、さらには紛争当事者らとの交渉を重ねた[14]。一連の活動は、世界遺産条約を前面に出して保護を要請する外交(「保護外交」)の中では、先駆的なものと位置づけられており、それも含む諸活動は一定の成果を上げたと評価はされている[16]。また、地域住民の間に自然保護の重要性を広く認識してもらうべく、草の根の活動を続けるNGOもあり、地域住民主体のNGOも設立されている[17]


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