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エールフランス 4590便事故の概要
日付2000年7月25日
概要DC-10から脱落した金属片による異物損傷(FOD)でエンジン火災が発生し墜落
現場 フランス・ゴネス
負傷者総数10以上 (地上)
死者総数113
生存者総数0
第1機体
事故機のコンコルド (F-BTSC) ? 1985年7月5日、シャルル・ド・ゴール空港にて
機種アエロスパシアル-BAC コンコルド
運用者 エールフランス
機体記号F-BTSC
出発地 シャルル・ド・ゴール空港
目的地 ジョン・F・ケネディ国際空港
乗客数100
乗員数9
負傷者数
(死者除く)0
死者数109(全員)
生存者数0
第2機体
事故に関与したDC-10
機種マクドネル・ダグラス DC-10-30
運用者 コンチネンタル航空
機体記号N13067
出発地 シャルル・ド・ゴール空港
目的地 ニューアーク国際空港
地上での死傷者
地上での死者数4
地上での負傷者数10以上
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コンコルド墜落事故(コンコルドついらくじこ)、正式名称エールフランス4590便墜落事故(エールフランス4590びんついらくじこ、英:Air France Flight 4590)とは、2000年7月25日に発生した航空事故。
当時世界で唯一運航されていた商業用超音速旅客機「コンコルド」で運行されていたエールフランスのチャーター便が、離陸直後にエンジン火災を起こして墜落した事故である。コンコルドの人身死亡事故としては唯一の事例であるが、安全性に重大な疑念が生じたため当局により耐空証明が取り消され、コンコルドはこれ以降長期にわたり運航停止となった。コンコルドは2001年11月7日に運行の再開が認められたが、直前に発生したアメリカ同時多発テロによる世界的な航空不況に加え、元々高コストな割に収益性が低い機体であったため、2003年10月までにコンコルドは退役し、これが最初にして最後の墜落事故となった。
また、2000年にはエールフランスを含む4社が航空連合スカイチームを創立しており、この事故はスカイチームの歴史上、初めての死亡事故となった[要出典]。 2000年7月25日、エールフランス4590便は13時30分までに全員が搭乗手続きを完了した。出発前の点検で第2エンジンの逆噴射装置に軽微な問題が判明し、部品の交換を必要とした。これにより出発は1時間遅れた[1][出典無効]。15時54分、乗客はコンコルドへの搭乗を開始し、16時35分に離陸の準備が完了した。管制塔は滑走路26R(全長4,000m)からの離陸を指示した[1][出典無効]。 16時42分、コンコルドは離陸滑走を開始した。コンコルドが時速323kmに到達したとき、管制塔からはコンコルドの後ろに黒煙が発生しているのが目撃された。機体はすでに滑走路の半分を走り終え離陸決心速度(V1)を超えており、滑走路の長さから離陸中止はできなかった。16時43分15秒、コンコルドは黒煙を引きながら離陸した。操縦席からは、その状況は目視できなかったが、管制塔からの緊急連絡で機体の状況がパイロットに伝えられた。また操縦席の警報も機体が深刻な状況にあることを伝えた。操縦士は着陸装置を収納しようとしたが動作しなかった[3]。離陸から15秒後、高度はわずか30mで、すでに飛行に支障が発生していた。機長は緊急着陸のため5km先にあるル・ブルジェ空港に向かおうと高度を上げようとしたが[3]、エンジン推力低下やエレボンのコントロール消失により、高度が低下し、やや左にそれて飛行した。やがて機首を上にした状態で失速し、離陸から2分後の16時45分にシャルル・ドゴール空港から南西約9,500m離れたヴァル=ドワーズ県ゴネスにあったホテル「オテルイッシモ」の別館レストランの敷地の北側に現地時間午後4時44分に後部から墜落し巨大な爆煙が発生した。機体は南の方角に砕け散って炎に包まれた。機体の前半部を除く殆どの部分が焼失し、オテルイッシモの別館(40室)も全焼した[3]。この事故により乗員9名、乗客100名の搭乗者109名全員と墜落現場付近にいた4名のあわせて113名が死亡し[4]、10名以上が負傷する大惨事となった。
事故機の概要
使用機材:アエロスパシアル-BAC コンコルド
機体記号:F-BTSC
就航年:1975年
エール・フランスに引き渡された7番目の機体で、1994年までに9,000時間ほど飛行[1][出典無効]。
1978?79年には映画『エアポート'80』の撮影に使用されていた。
予定飛行経路
出発地:フランス・パリ シャルル・ド・ゴール空港
目的地:アメリカ・ニューヨーク州 ジョン・F・ケネディ国際空港
乗務員
運航乗務員:クリスティアン・マルティ(英語版)機長(54歳)[2]以下2名(副操縦士(50歳)・航空機関士(58歳))
客室乗務員:6名
乗客:100名
AF4590便はドイツの旅行会社「ペーター・ダイルマン・クルーズ」がチャーターした臨時便である。
乗客の多くはニューヨークから豪華客船ドイッチュラントによるカリブ海クルーズでエクアドルに向かうツアーの途中で、そのほとんどはドイツ人の乗客だった[1][出典無効] 。
ツアー代金の総額は当時の為替レートによる日本円換算で約140万円だった[1][出典無効]。
事故までの背景
墜落