コングレ記念塔
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コングレ記念塔
フランス語: Colonne du Congres
オランダ語: Congreskolom
コングレ記念塔の正面図
所在地Place du Congres / Congresplein
 ベルギーブリュッセル首都圏地域ブリュッセル市・B-1000
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯50度51分0秒 東経4度21分48秒 / 北緯50.85000度 東経4.36333度 / 50.85000; 4.36333座標: 北緯50度51分0秒 東経4度21分48秒 / 北緯50.85000度 東経4.36333度 / 50.85000; 4.36333
面積1.63アール(1,750平方フィート
標高47メートル(154フィート
Inaugurated byベルギー王レオポルド1世
建設1850年?1859年
建設目的ベルギー国民議会(英語版)の記念
復元2008年
建築家ジョセフ・ポウラエール(英語版)
建築様式新古典主義
(コリント式による戦勝記念塔)
所有者ベルギー連邦政府

ベルギーのコングレ記念塔(: Colonne du Congres、: Congreskolom)は、ブリュッセルのthe Place du Congres/Congrespleinにある記念塔である。ベルギー国民議会(1830年?1831年)がベルギー王国憲法(英語版)を制定したことを記念する。塔は、ローマトラヤヌスの記念柱からアイデアを得て[1]、ジョセフ・ポウラエールのデザインを元に、1850年から1859年にかけて、シャルル・ロジェ(英語版)が主導して建てられた。塔の頂点にはベルギーの初代国王レオポルド1世の像があり、台座(en:Pedestal)は憲法の下で保証された4つの自由を擬人化した像に囲まれている。また、塔の下には無名戦士の墓もある。

最寄り駅は、ベルギー国鉄ブリュッセル=コングレ駅ブリュッセル地下鉄のParc metro station、en:Botanique/Kruidtuin metro station。
歴史

最初の石は、1850年9月24日に、ベルギー王レオポルド1世の臨席の下で設置され[2]、1859年5月29日に正式に完成した[3]。1929年には、塔で、フェルナンド・デ・ローザ(英語版)によるイタリア王国ウンベルト王太子暗殺未遂事件が発生した。

塔は、2002年から2008年にかけて修理された[4]
説明

コングレ記念塔の高さは47メートル(154フィート)である[5]。塔の内部にある193段の螺旋階段が、惜しみ無く彫られた手すり子に装飾され、レオポルド1世の像の台座に囲まれているプラットホームに繋がっている[6]。プラットホームは16人の訪問者を収容できるが、安全面の理由からアクセス出来ない。レオポルド1世の像はギヨーム・ギーフ(Guillaume Geefs)により制作された。

ベルギー独立のための戦いに関わる重要な日付が、国民議会と臨時政府(英語版)のメンバーの名前、1832年のLiberalなベルギー王国憲法の重要な一節とともに、塔の台座に刻印された。

コングレ記念塔の台座

塔の頂点にあるベルギー王レオポルド1世の像

塔の彫刻の細部

台座を囲む4つの座像は、憲法における大きな自由を示す。すなわち「結社の自由」(Charles Fraikin)、「信教の自由」(ウジェーヌ・シモニス作)、「報道の自由」、「教育の自由(英語版)」(en:Joseph Geefs)である[7]。記念碑のような2つの青銅ライオン像(ウジェーヌ・シモニス作)が、モニュメントの正面にある[8]。2007年、サイクロン・キリル(英語版)により、「報道の自由」像が吹き倒されたが、修理された。

コングレ記念塔の彫刻

Liberte de l'enseignement ("教育の自由")

Liberte d'association ("結社の自由")

Liberte de culte ("信教の自由")

Liberte de la Presse ("報道の自由")

無名戦士の墓塔の下にある無名戦士の墓

第一次世界大戦の戦没者の追悼として、1922年11月11日に、無名戦士がモニュメントの下に埋葬された。この無名戦士は、戦いで失明した退役兵士のRaymond Haesebrouckにより、異なる戦場の5人の身元不明兵士から選ばれた。墓は、永遠の炎(英語版)を載せている。

第二次世界大戦後、戦没者の名誉を称えるために、第二の記念碑がモニュメントに追加された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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