この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "コルトバイフィジェット"
1797年のダービーに優勝した競走馬には名前がない。便宜上父フィジェットや、この馬を生産・所有した第5代ベッドフォード卿と、仔馬を意味する英単語「コルト」を使用し、フィジェットコルト、コルトバイフィジェット、ベッドフォードズコルトなどと呼ばれる。ダービーの歴代優勝馬の欄には、そのまま「無名」を意味する英単語であるUnnamedなども使用されている。この項では「コルトバイフィジェット」と呼称する。
コルトバイフィジェット(Colt by Fidget、1794年生)は、青鹿毛の牡馬で、第18回エプソムダービー(1797年)に優勝した。父はフィジェット、母はハイフライヤーメア産駒の無名牝馬。ダービーがデビュー戦だったこの馬は、J.Singletonを背に優勝、無名ながらダービーの歴代優勝馬にUnnamedとして記載された。当時はダービーに無名馬が出走することがめずらしくなく、この馬の父の弟も無名のままダービーに勝っている(のちにイーガーと命名された)。ダービー後は休養に入り、翌年1戦に出走しただけで引退した。結局最後まで名前が付けられることはなく、種牡馬として供用された記録も残っていない。 なぜ名前がないのか。かつて馬は単に馬主の所有物でしかなく、さらに血統管理の必要性も軽視されていたため、18世紀以前の競走馬には名前をつける必要がなかった。もちろん名前のある馬も多かったが、17・18世紀の馬に見られる「?コルト」「?メア」「ブラザートゥ?」「?アラビアン」というのはすべて名前のない馬のことで、多くは後世血統登録の必要に迫られ適当に付けられたものである。19世紀に入っても大レースを無名馬が勝つことがあり、そうした場合優勝馬の欄に「Unnamed」と記載された。1815年の第2回1000ギニー優勝馬もUnnamed(セリムの牝駒Selim filly、1812年生。父セリム、母シザーリオメア)である。イギリスでは1913年まで無名のままデビューすることは可能であり、実際にいた。 コルトバイフィジェットの血統(ヘロド系 / Herod 3×3=25%、Matchem 3×3=25%、Partner5・5×5・5=12.5%、Godolphin Arabian5・5×5・5=12.5%)(血統表の出典) 1783父の父Florizel 1768Herod 1758 鹿Tartar 1761 芦Cygnet 1777Matchem 1748 鹿Cade 1770Syphon 1774 鹿Herod 1758 鹿Tartar 1763 鹿Blank 1773Matchem 1748 鹿Cade 1753BABRAHAM
無名馬について
血統表
父
Fidget
Cypron
Cygnet Mare
Y.Cartouche Mare
父の母Matchem Mare
Partner Mare
Syphon Mare
Shakespeare Mare
母
Highflyer Mare
Cypron
Rachel
Regulus Mare
母の母Matchem Mare
Partner Mare
MOLLY LONGLEGS
FOXHUNTER MARE F-No.6-a
表
話
編
歴
エプソムダービー勝ち馬
1780 ダイオメド
1781 ヤングエクリプス
1782 アサシン
1783 サルトラム
1784 サージェント
1785 エイムウェル
1786 ノーブル
1787 サーピーターティーズル
1788 サートーマス
1789 スカイスクレーパー
1790 ラダマントゥス