コリンダ・グラバル=キタロヴィッチ
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コリンダ・グラバル=キタロヴィッチ
Kolinda Grabar-Kitarovi?

コリンダ・グラバル=キタロヴィッチ(2015)
クロアチア
第4代 大統領
任期2015年2月18日2020年2月18日
首相ゾラン・ミラノヴィッチ
ティホミル・オレシュコヴィッチ(英語版)
アンドレイ・プレンコビッチ
クロアチア
外務・欧州担当大臣
任期2005年2月17日2008年1月12日
首相イーヴォ・サナデル
クロアチア
欧州統合大臣
任期2003年12月23日2005年2月17日
首相イーヴォ・サナデル

出生 (1968-04-29) 1968年4月29日(56歳)
ユーゴスラビア
クロアチア社会主義共和国リエカ
政党 クロアチア民主同盟
出身校ザグレブ大学・人文社会科学部
ウィーン外交アカデミー
配偶者ヤコヴ・キタロヴィッチ
子女ルカ、カタリナ
宗教カトリック教会

コリンダ・グラバル=キタロヴィッチ[1]クロアチア語: Kolinda Grabar-Kitarovi?、1968年4月29日 - )は、クロアチア外交官政治家である。2015年より同国大統領を1期5年務めた[2]。同国初の女性大統領である[2]

2011年から2014年まで、北大西洋条約機構(NATO)の広報外交担当の事務次官補であり[3]、NATOで初の女性の事務次官補であった。イーヴォ・サナデルクロアチアの首相を務めたとき、欧州担当大臣(2003年 - 2005年)、外務・欧州担当大臣(2005年 - 2008年)、アメリカ合衆国駐箚クロアチア大使(2008年 - 2011年)を務めた[4]

クロアチア民主同盟に属し、三極委員会の一員である。
出自

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国クロアチア社会主義共和国リエカに生まれ、少年期をアメリカ合衆国で過ごしロスアラモスの高等学校を卒業する[5]。その後ザグレブ大学人文社会科学部で学び、1992年に学士号を取得する[3]。1995年から1996年にかけて、ウィーン外交アカデミーに在籍し、2000年にザグレブ大学政治科学部の修士課程を修了する[6][3]

2002年から2003年にかけてジョージ・ワシントン大学フルブライト・プログラムに参加する[7][8]ハーバード大学ケネディスクールのルクシッチ奨学金研究員、ジョンズ・ホプキンス大学ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院の客員研究員を務めた[3]
来歴

1992年、クロアチア科学技術省で国際協力を担当する顧問官となった[9]。1993年には外務省に転籍する[9]。1995年には外務省北アメリカ局長に就任し、1997年までその地位にあった[9]。1997年にカナダ駐箚クロアチア大使館参事官、1998年10月に公使参事官となり[10]、2000年までカナダに駐在した。

2001年、外務省の参事官となり、2003年まで務めた[10]。2003年11月、クロアチア民主同盟(HDZ)の一員としてクロアチア議会の議員に選出された[11]。2003年12月にイーヴォ・サナデルを首班として組閣された際、欧州統合担当大臣に任命され、2004年からクロアチアの欧州連合加盟交渉を率いる[3]。その後、2005年2月に外務省と欧州統合省を合併して外務・欧州担当省が新設されると、同省の大臣に任命された[9]。在任中、クロアチアの欧州担当およびNATOへの加盟交渉などが重要課題であった[3]

2008年1月、前年の総選挙を受けて内閣が再編された際、外務・欧州担当大臣の地位はゴルダン・ヤンドロコヴィッチ(英語版)へと継承された[12]
大統領

2012年9月、日刊紙ユタルニ・リスト(英語版)は、グラバル=キタロヴィッチが2015年の大統領選挙におけるクロアチア民主同盟の立候補者候補となっていると報じた[13][14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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