コリアタウン
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出典検索?: "コリア・タウン" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2020年8月)
米国 ニューヨーク市マンハッタン32番通り(32nd Street, 32丁目)にあるこのようなコリアタウンは、国外に離散した(英語版、日本語版朝鮮民族朝鮮韓国からの文化を表している。

コリア・タウン(英語: Korea town、朝鮮語: ?????)、コリアン・タウン(英語:Korean town)とは、世界各地に散在(ディアスポラ移民も参照)する韓国・朝鮮系住民の集住地。

アメリカ合衆国中華人民共和国日本が中心で、ロシア中央アジアにも一定数が居住する(高麗人)。カナダにも増え始めている。
アメリカ合衆国「韓国系アメリカ人」も参照

朝鮮半島から米国への移民は1903年に始まったが、1965年に同盟国である大韓民国からの大量移民が認められてから移民数が激増した。現在の在米韓国人数は約200万人に達する。国外最大の韓国人居住国である。

カリフォルニア州ロサンゼルス:ウィルシャー (Wilshire) 地区は、世界最大のコリア・タウンとして知られる。ウィルシャー地区の東側にはダウンタウン、北側にはハリウッド、西側にはビバリーヒルズ、南側にはサウスセントラル(インナーシティ化している)がある。1960年代から韓国人が増え始め、1980年代にコリアタウンとして繁栄を極めた。1992年のロサンゼルス暴動では多数の韓国系商店が巻き込まれ略奪を受けた。これは、サウスセントラルの暴動が波及したためである。この他、グレンデールガーデングローブフラートンなどロス郊外には中産階級の韓国人が集住する地区が数ヶ所ある。

ニューヨーク州ニューヨーク市:近年マンハッタン32丁目に韓国系企業やレストランが多数出現しコリアタウンとなった。ただし、韓国人居住者が多いのはクイーンズ区である。小売や飲食店などの自営業に就く人口と専門職エリートとは棲み分けがある。

ニュージャージー州バーゲン郡フォートリーパリセイズ・パークにコリアタウンがある。

カリフォルニア州オークランドサンフランシスコ・ベイエリアに位置し、市内のテレグラフ通りには約6万人の韓国系住民が住む。

テキサス州ダラス:ダラスの中心街から北西に位置する場所で、正式に名称が付いているわけではないが、ハリー・ハインズ Blvd.とロイヤル Ln.の交差点を中心にその周辺地域が事実上のコリアンタウン化しており、韓国系の個人商店や簡素な商業施設、飲食店や違法風俗店などが集中している。アメリカ南部ではジョージア州アトランタに次いで二番目の大きさである。

中華人民共和国「朝鮮族」も参照

中国東北部の朝鮮国境地帯には、李氏朝鮮時代から朝鮮農民が流入し、日本統治時代に規模が拡大した。現在200万人近くの朝鮮族(中国国籍)が住む。中国朝鮮族の中心地は吉林省延辺朝鮮族自治州延吉市であり、ほかにも州内に琿春市などの朝鮮族人口が漢族人口を上回る都市が多い。

1990年代以降、中韓修交により韓国人のビジネスマンや留学生が大量に中国へ渡り、これらの人々を中心にして新しいコリア・タウンが中国各地に形成されている。比較的歴史が古く規模も大きなものとしては、瀋陽市西塔が名高い。他に北京市の望京、上海市閔行区龍柏長春市の桂林路、丹東市の三馬路などがある。これらのコリア・タウンには、朝鮮族が流入して別途に朝鮮族タウンが形成されている。
日本
概説

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東京都台東区東上野東京都新宿区大久保大阪コリアタウン商店街在日韓国・朝鮮人」も参照

朝鮮半島の日本統治時代に経済的理由などにより生活の糧を求めて日本へ移入してきた者と、日本の敗戦後に起きた済州島四・三事件朝鮮戦争の難を逃れて日本へ密航してきた者が多い。

日本に根を下ろして生活しているこれらの子孫を含めた在日韓国・朝鮮人(特別永住者)の数は約28万人(2023年現在)[1]日本国籍を取得した者(朝鮮系日本人)や、これらの子孫も含めれば、その数は80万人以上にものぼる[2]

国籍は朝鮮籍から韓国籍への変更が可能(その逆は不可)なため、現在では時代変化に応じた国籍取得による韓国籍者が多い。なお、在日韓国・朝鮮人に限らず外国人は、本名とは別の日本氏に対応した通称の利用が法的に可能であり、マスコミ報道では、会社の方針によって通称のみが報道されたり、本名と併用されることもある。

また、1965年昭和40年)の日韓国交正常化後に日本に渡航してきた者も相当数在留している。1983年(昭和58年)に当時の内閣総理大臣中曽根康弘が「21世紀初頭までに留学生の受け入れ数を10万人とする」とした政策目標を発表した。政策実現には査証(ビザ)の緩和政策が含まれ、結果としてパートタイム労働における外国人労働者の市場開放がなされた。そのため、経済格差のある韓国からも多数の留学生が日本にやってきた。

この政策以降、新たに日本に来た在留外国人を「ニューカマー」というようになったが、特にバブル景気以降に日本へ来た者を言う場合もある。短期在留傾向の強いニューカマーの実態はつかみづらい。毎年170万人を超える日本への韓国人入国者のうち、一定の割合が出稼ぎ化しているものと見られる。さらに日本海沿岸地域の港湾部、特に定期航路(旅客・貨客)がある下関港関釜フェリー)や博多港を抱える下関都市圏北九州都市圏(両方をまとめて関門都市圏とも言う)では半定住化している例もあり、山口県下関市には下関駅付近に事実上のコリア・タウンであるグリーンモール商店街が存在する。

長期在留のニューカマーは合法的な在留資格を持つ者がほとんどであるが、在留期限の切れた違法状態(オーバーステイ)の者もある程度存在するため、こちらも実態をつかむのは困難である。統計的には、韓国・朝鮮の一般永住者が約7.5万人(2023年)となっている。これらのニューカマーは日本統治時代の政策とは関係がなく、戦後の韓国の教育を受けているため、在日韓国・朝鮮人との間に考え方や文化の差があり、外国にいる日系三世と在留邦人との関係に似て溝がある。特に首都圏などの大都市には新宿区大久保大阪市生野区の鶴橋といった大規模なコリア・タウンが存在し、日本の中の韓国「パスポートのいらない韓国」として紹介されることがある。

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北海道・東北地方

韓国と気候(特に冬)が似ているが、都市圏に在日外国人が多くなる傾向があり、都市部があまりない東北地方には、大きなコリアンタウンは存在しない。しかし過疎化による人口不足で農村男性の婚姻率が下がったため、ジャパゆきさんブームでコリアンパブで知り合ったり、韓国や中国、フィリピンなど東南アジアに「お見合いツアー」を出すなどもしている。在日韓国・朝鮮人も全体的に居住しており、岩手県盛岡冷麺のようにその土地の食文化として定着した例もある。
山形県

戸沢村:嫁不足に伴って韓国から花嫁を募ったため、韓国籍の女性が多い。道の駅とざわでは韓国の歴史や文化を紹介する「民族資料館」の他、店内ではキムチソフトクリームなども販売している。

関東地方

東京にはニューカマーの数が多いため、ニューカマーのみでコリア・タウンが成立することも可能である。在日韓国・朝鮮人によるコリア・タウンや、在日とニューカマーの混在型コリア・タウン、富裕層のニューカマーのみのコリア・タウンなど、コリア・タウンの形態は雑多である。またコリアン系に限らず、ニューカマーを中心に外国人が多数流入して在住し「多国籍タウン」と化している地域もある。

2022年の公式統計によれば、東京都在住のコリアン人口は約9.2万人[3]
埼玉県

川口市蕨市:隣り合う西川口駅から蕨駅にかけて多くの外国人が住んでおり、ハングルの看板が多数存在する。また歴史上、朝鮮からの渡来人が多数集められ(高麗郡新座郡)、これらは明治半ばまで存続し、改名しただけでそのまま残っているので、ゆかりの集落(高麗神社、にいくらの里)等が多い。

千葉県

千葉市中央区栄町を中心にコリア系の風俗店や飲食店が集中している。現在の栄町は、韓国からのニューカマーが中心となっている。中央区新宿2丁目には韓国民団会館在日大韓基督教会千葉教会[4]がある。

船橋市:千葉市栄町に次ぐ県内の在日コリアン集住地。戦後「日本の上海」の異名を持つほど闇市が栄えた町で、旧朝鮮総連や韓国民団の施設などがある[5]。また在日大韓基督教会船橋教会があり、同教団の千葉県内の教会は千葉教会と2箇所のみである[6]

東京都韓流アイドルショップ(新宿区大久保ハングルの看板を大きく掲げるドン・キホーテの店舗(新宿区大久保)ロッテ新宿工場(新宿区百人町
1950年に操業開始、2013年に閉鎖。ロッテ本社も置かれていた

東京のコリアンタウンは主に、戦前の日本統治時代朝鮮半島から来た人達が基礎を築いたもの(三河島・西新井など)、戦後に闇市などで勃興した繁華街(東上野キムチ横丁・赤坂韓国人クラブ街・新大久保風俗街など)、戦後の混乱期に不法占拠の廃品回収業(通称・バタ屋)の人々が集住した地域、1990年代の入管法改正以降に増えたニューカマーにより変貌した街(錦糸町・小岩など)などがある[5]


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