コミック・ストリップのシンジケート配信
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本項ではコミック・ストリップのシンジケート配信(: comic strip syndication)について述べる。米国のコミック・ストリップ作品は専門通信社(シンジケート(英語版)[1])を通じて多数の新聞に掲載されるのが一般的である。シンジケート会社は漫画家から年間数千作に上る投稿を受け、そのうち数作と契約を結んで配信を行う。契約条件によっては作品の著作権がシンジケートに帰属することがある。シンジケート配信がもっとも広く行われたコミック・ストリップ作品のギネス世界記録ジム・デイヴィスの『ガーフィールド』が保有している。同作は2002年の記録認定時に2570紙で連載され、全世界で2億6300万人の読者を持っていた[2]

シンジケート配信がもっとも盛んだった1930年代半ばには、130社のシンジケートが1600作品を13700紙以上に配信していた[3]。2017年現在、コミック・ストリップ・シンジケートの最大手はアンドルーズ・マクミール(英語版)、キング・フィーチャーズ(英語版)[4]、クリエイターズ(英語版)であり、ほかにもトリビューン・コンテント・エージェンシー(英語版)やワシントン・ポスト・ライターズ・グループ(英語版)が活動を行っている。アンドルーズ・マクミールは150本以上のコミック・ストリップやニュース記事を配信している。また自社運営のウェブサイトGoComics(英語版)において、シンジケート配信中の作品のほか、『カルビンとホッブス』、『ブーンドックス』、『ブルーム・カウンティ(英語版)』のような過去作や、『Pibgorn(英語版)』、『Kliban』のようなウェブコミック、さらには他社の配信作の一部をデジタル配信している。キング・フィーチャーズはコミック・ストリップ150作品のほか、新聞コラム風刺漫画、パズルやゲームを世界で5000紙近くに配信している。クリエイターズは60作ほどのコミック・ストリップと漫画家20人による風刺漫画を配信している。
シンジケートへの投稿

漫画家シド・ホッフ(英語版)の著書 The Art of Cartooning(1973年)の中で、キング・フィーチャーズのコミック部門で25年以上編集者を務めてきたシルヴァン・バイク(英語版)が、年に1000作以上のコミック・ストリップが投稿されるが1作しか採用されないと述べている。バイクは投稿を成功させる秘訣として、メインキャラクターに温かみと魅力を持たせることや、作品作りの自由が狭められるような設定を避けることを挙げている[5]。採用に至ったコミック・ストリップ作品でも、1?2年以上シンジケート配信が続くのはおよそ四分の一にすぎない[6]
契約と著作権の帰属「アメリカン・コミックスにおけるクリエイターの権利」も参照

歴史的に、配信作品(タイトル、キャラクター、肖像)の権利はシンジケート会社に帰属するものだった。そのため、オリジナルの作者が引退したり、作品を放棄したり、死去しても作品の配信を続けることが可能だった。初期の先例としては、1897年に世に出て大人気を博したルドルフォ・ダークス(英語版)によるコミック・ストリップ作品『カッツェンジャマー・キッズ(英語版)』がある。ダークスは1912年に発行人ウィリアム・ランドルフ・ハーストから自作の著作権を取り戻そうとしたが、最終的にハーストが勝利した[7]。このような慣行は、作者が交替したせいで当初の人気の理由だった「輝き」がなくなったと批判される「レガシー・ストリップ」を生み出すことにもなった(「ゾンビ・ストリップ(英語版)」という侮蔑的な言い方もある)。ほとんどのシンジケートはクリエイターとの間に10年間から20年間にも及ぶ契約を結んだ(例外もある。バド・フィッシャー(英語版)の『マット・アンド・ジェフ(英語版)』は、作者が最初から著作権を保持していた作品として最古かそれに次ぐケースである)。

自作の権利を保持しようと試みて失敗した漫画家は著名な作者だけでも複数いるが、ミルトン・カニフ(英語版)はその一人である。1946年、シンジケートによって作品の所有権を主張されたカニフは、絶大な人気を集めていた『テリー・アンド・ザ・パイレーツ(英語版)』の執筆を打ち切った。1947年にカニフはフィールド・ニュースペーパー・シンジケート(英語版)のオーナーであったマーシャル・フィールド3世(英語版)から著作権の保持を認められて『スティーヴ・キャニオン(英語版)』を描いた[8]。出版者デニス・キッチン(英語版)によると、同じく1947年に大人気作『リル・アブナー(英語版)』の作者アル・キャップ(英語版)がユナイテッド・フィーチャー・シンジケート(英語版)に1400万ドルの支払いを求めて訴訟を起こし、『リル・アブナー』作中で同社を非難した。翌年には作品の所有権と管理権を要求して争議を起こしたという[9]
シンジケート間の移籍

ほとんどの作品は最後まで同じシンジケートから配信されるが(シンジケート間の合併、買収、改名は除く)、様々な理由で他社に移籍した有名作品も歴史上存在する。1961年にAPニュースフィーチャーズ(英語版)が、1989年にマクノート・シンジケート(英語版)が倒産した際には、相当数に上る配信作品が終了か移籍かの選択を迫られた。『ワールズ・グレイテスト・スーパーヒーローズ(英語版)』や『プア・アーノルズ・アルマナック(英語版)』のように、長い休止期間を経て別の会社からシンジケート配信を再開する作品もある。

1987年初頭に分水嶺となる事件が起きた。キング・フィーチャーズがニュース・アメリカ・シンジケート(英語版)を買収してシンジケート事業を吸収したことを受けて、ニュース・アメリカの社長リチャード・S・ニューカム(英語版)が独立会社クリエイターズ・シンジケートを設立したのである。ミルトン・カニフはニューカムに「この言葉を記録に残しておく。『よくやった!!!』」というポストカードを送った[10]ピューリッツァー賞を受けた漫画家マイク・ピーターズ(英語版)は『エディター&パブリッシャー(英語版)』誌で「とっくに時代は変わっているのに、シンジケートは気づこうとしない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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