コマンチ郡_(オクラホマ州)
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オクラホマ州コマンチ郡
郡のオクラホマ州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1907年
郡庁所在地ロートン
面積
 - 総面積
 - 陸
 - 水
2,808 km2 (1,084 mi2)
2,769 km2 (1,069 mi2)
36 km2 (14 mi2), 1.34%
人口
 - (2020年)
 - 密度
121,125人

標準時中部: UTC-6/-5
ウェブサイト ⇒www.comanchecounty.us

コマンチ郡(: Comanche County)は、アメリカ合衆国オクラホマ州である。人口は12万1125人(2020年)[1]郡庁所在地ロートンであり[2]、同郡で人口最大の都市である。コマンチ郡は、南に隣接するコットン郡と共にロートン都市圏を構成している。

郡内にはシル砦軍事施設とウィチタ山脈野生生物保護区がある。グレートプレーンズ東縁にあり、北側にはウィチタ山脈がある。州間高速道路44号線と3本のアメリカ国道が郡内を通っており、ロートン・フォートシル地域空港が使える。

コマンチ郡はインディアン準州にあったコマンチ族、カイオワ族およびアパッチ族インディアンの居留地に造られ、1901年8月16日に白人開拓者に開放された。郡の経済は総生産額の半分を占める行政部門に大きく依存している。郡政府は3人の委員による郡政委員会が運営しており、委員は2年毎に1人または2人が改選され、任期は4年間である。教育は幾つかの教育学区とキャメロン大学が担当し、医療分野では3つの病院がある。
歴史

現在オクラホマ州となっている領域には、紀元前11500年のクローヴィス文化、同10600年のフォルサム文化、同10000年のプラノ文化など前史時代のインディアンが入っていた。16世紀には西部に向かった探検家がこの地域に入った。1541年、スペイン人探検家フランシスコ・バスケス・デ・コロナドが入ってきたとされている。当時のこの地域大半にはウィチタ族カド族が入っていた。1700年頃、北からコマンチ族とカイオワ族がオクラホマやテキサスに移住してきた[3]

18世紀の大半ではルイジアナとしてフランスの支配下に入っていた。1803年、トーマス・ジェファーソンによるルイジアナ買収によって、アメリカ合衆国の支配下に入った。1830年、アメリカ合衆国議会インディアン移住法を成立させ、合衆国の東部のインディアン部族をインディアン準州に移動させた。準州の南部は1867年までチョクトー族とチカソー族に割り当てられていたが、メディスンロッジ条約により、その南西部はコマンチ族、カイオワ族、アパッチ族に割り当てられた[3][4]1905年のコマンチ郡図

1869年、インディアンがテキサスを襲撃していたのを停めるための作戦行動を率いていたフィリップ・シェリダン少将がシル砦を建設した[5]。1874年、コマンチ族、カイオワ族、および南部シャイアン族がインディアン準州の居留地を離れ、レッド川戦争が持ち上がった。アメリカ陸軍が部族の損耗を図り、小競り合いを続けた結果、1875年6月にこれら部族はインディアン準州内に戻された[5]

1891年、アメリカ合衆国議会は部族指導者と会合を持つ使節団を指名し、地域内に白人開拓者が入ってくることを認めさせる協定を結んだ。その後議論や法的手続きが行われた後、ウィリアム・マッキンリー大統領は1901年7月4日に声明書を発し、インディアンが保有していた土地の余剰分200万エーカー (80万 km2) を連邦政府が管理するようになった[6][7]

カイオワ郡カドー郡およびコマンチ郡にある320エーカー (1.28 km2) の場所3か所が郡庁所在地として選定され、コマンチ郡はロートンが郡庁所在地に指定された[8]。非インディアンによる入植は、1901年8月6日に始まったオークションにより解放された[9]。1906年12月、郡の南部にあったインディアンの家畜用に取っておかれた牧草地、ビッグパスチャーが開拓者に開放された[10]

1910年、コマンチ郡の西部とカイオワ郡の南部が合わされてスワンソン郡が創られたが、この郡は短命に終わった。コマンチ郡が起こした訴訟により、最高裁判所は1911年6月27日にスワンソン郡を解消する裁定を下した[11]。1912年、当時レッド川まで延びていた郡の南部は、新しく設立されたコットン郡となった[10]
地理コマンチ郡図

アメリカ合衆国国勢調査局によれば、郡域全面積は1,084平方マイル (2,808 km2)であり、このうち陸地1,069平方マイル (2,769 km2)、水域は14平方マイル (36 km2)で水域率は1.34%である[12]。コマンチ郡はグレートプレーンズに典型的な地域にあり、プレーリーと少数の樹木、平坦な部分となだらかに畝っている部分のある丘陵が特徴である[13]。郡の北部にはウィチタ山脈があり、この地域では最高峰のスコット山やピンチョー山がある[14]

郡内北部の大半はペルム紀ポストオーク礫岩の石灰岩で構成されている。南部はペルム紀ガーバー砂岩が普通に見られ、ヘネシーグループの頁岩もある。イーストキャッシュ・クリークやウェストキャッシュ・クリークなどのクリークが第四紀沖積層の堆積物を運んでいる。北西部ではウィチタ山脈が主にカンブリア紀のウィチタ花崗岩グループで構成されている[15]

コマンチ郡には3つの都市がある。最大の都市はロートン市であり、郡の中央にあり、郡庁所在地である[16]。2010年国勢調査による人口は96,867人と郡人口の78%が収集している。ロートンの西、アメリカ国道62号線沿いにキャッシュ市があり、人口は2,796人である。郡北東部、州間高速道路44号線沿いにエルジン市があり、人口は2,156人である。他には町が郡内に点在しており、北東部にはフレッチャーとスターリング、北中部にはメディスンパーク、西部にはインディアホマ、南東部にはジェロニモ、南部にはチャタヌーガとファクソンがある[17]。また郡内にはシル砦がある。広さ9万エーカー (360 km2) のこの施設には、アメリカ陸軍野砲訓練センターと防空砲兵隊が入っている[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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