コマツ
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「コマツ」はこの項目へ転送されています。なめ茸の商品名であるコマツについては「小松食品」をご覧ください。

株式会社小松製作所
Komatsu Ltd.
小松製作所本社
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 6301
略称コマツ、KOMATSU
本社所在地 日本
107-8414
東京都港区赤坂二丁目3番6号
コマツビル
設立1921年5月13日(創業:1894年
業種機械
法人番号1010401010455
事業内容建設機械・車両、産業機械他などの事業を中心に、リテールファイナンス・物流などの事業を展開
代表者代表取締役会長 大橋徹二
代表取締役社長CEO 小川啓之
資本金693億9300万円
(2022年3月31日現在)
発行済株式総数9億7,314万5800株
(2022年3月期)
売上高連結:2兆8,023億23百万円
(2022年3月期)
営業利益連結:3,170億15百万円
(2022年3月期)
純利益連結:2,249億27百万円
(2022年3月期)
純資産連結:2兆3,562億77百万円
(2022年3月31日現在)
総資産連結:4兆3,475億22百万円
(2022年3月31日現在)
従業員数連結:62,774人
単独:11,927人
(2022年3月31日現在)
決算期3月31日
会計監査人有限責任あずさ監査法人
主要株主日本マスタートラスト信託銀行(信託口)17.67%
日本カストディ銀行(信託口)6.47%
太陽生命保険 2.87%
(2022年3月31日現在)
主要子会社コマツカスタマーサポート 100%
コマツ物流 100%
コマツ産機 100%
コマツNTC 100%
コマツアメリカ 100%
関係する人物竹内明太郎
河合良成
坂根正弘
野路國夫
片田哲也
安崎暁
藤塚主夫(元代表取締役副社長)
外部リンクhttps://www.komatsu.jp/ja
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株式会社小松製作所(こまつせいさくしょ)は、東京都港区に本社を置く、日本の建設機械・鉱山機械のメーカー。呼称としてカタカナ表記のコマツを用いている。英表記はKOMATSUである。

創業者は竹内明太郎。TOPIX Large70の構成銘柄の一つ。アメリカにおいてニューヨーク証券取引所やNASDAQには上場していないが、米国預託証券(ADR)を発行している(証券コード:KMTUY)。
概要・沿革

建設機械の日本でのシェアは1位、世界でアメリカキャタピラー社に次いで2位。日本以外にも南北アメリカヨーロッパCIS中近東アフリカ東南アジアオセアニア中国にグループ企業を展開する。
企業イメージ 930E-2(こまつの杜) 930E-2のスペック

堅実な経営で比較的財務体質が良く、世界戦略も好調な会社として知られ、投資家エコノミストからの評価は高い。好悪含めて新聞雑誌の経済欄を飾ることも多い。斜陽産業などと言われた時期もあったが、建機業界が活況を帯びていることもあって、最近では成長企業として見られている。日本のものづくりを代表する企業の一つでもある。建設機械にとって最も重要なエンジントランスミッション、油圧機器、アクスル、コントローラー等の電子制御部品を全て自社開発・生産している。2008年5月には、市販ベースの建設機械で世界初となるハイブリッド油圧ショベル「PC200-8ハイブリッド」を発表した。IR活動企業統治にも比較的力を入れている。

石川県では地元に縁のある企業としては別格の存在で、特に小松市はコマツの企業城下町となっている。また、一般の人や子供たちが建設機械に対して親しみを持ってもらえるよう、2010年に閉鎖した小松工場跡地の「こまつの杜」内に「わくわくコマツ館」を開設。旧本社社屋を復元した建物の1階は、建設機械や産業機械の展示・体験コーナー、建設機械のジオラマや3Dシアターなどとなっており、2階では、理科教室などのイベントが行われている[2]。同じく小松市内にある粟津工場の開放日は家族連れに人気のイベントとなっている。また、静岡県にあるテクノセンタで年に2回見学会を開催したり、子供向けウェブサイト「 ⇒ケンケンキッキ」を公開するなどのコミュニケーション活動も展開している。
発祥

1917年1月、石川県能美郡国府村(現・小松市)で銅山を経営していた竹内鉱業(竹内明太郎により創業)が自家用機械生産のため、同郡小松町の小松駅近傍に小松鉄工所を開設したのが始まりである(初代所長は、竹内の求めに応じた快進社橋本増治郎が兼務)。竹内明太郎は高知県出身の実業家で吉田茂の長兄にあたる[3]。竹内は1902年に遊泉寺銅山の開発に着手すると、1917年に遊泉寺銅山の附属施設として小松鉄工所を設立した[3]。小松鉄工所では自家用工作機械や鉱山掘削機械を製造していた[3]1921年5月13日に小松鉄工所が竹内鉱業から分離独立し、株式会社小松製作所が設立された。当初は不況の煽りを受け細々と経営していたが、満州事変を境に業績が好転した。1932年に農林省から国産トラクターの開発を要請され、日本初の国産トラクタ―「T25トラクタ」を開発した[3]。また、太平洋戦争中には日本海軍が米軍のブルドーザーを鹵獲、日本でも同じものを生産可能にする為、同社に送られて実用化の研究が始まったが、これが同社とブルドーザーの関わりの始まりである(詳細は「ブルドーザー」を参照)。

第二次大戦後、食糧増産のための開墾や国土復興などの需要からブルドーザーを量産し、1950年には総売上の53%がブルドーザーが占めるようになった[3]1951年8月には本社を小松から東京に移転、屋上に巨大ブルドーザーがあった通称・コマツビル1991年春に、このブルドーザーを撤去)に移転して営業を始め、油圧ショベルやフォークリフト、重ダンプトラックなどの建機製品を次々と手掛けていった。油圧ショベルは「パワーショベル」の商品名で発売されたが、この言葉は今日では油圧ショベルの一般的な呼び名として定着している。また、1990年代にはF1のチーム・ロータスおよびウィリアムズにデジタル技術やギアボックス周辺の部品の供与などを行った。
国際企業

グローバル化にいち早く手を付けた企業としても知られ、自動車メーカーより早い1950年代頃から海外への輸出や海外工場の展開を進めていた。1960年頃、キャタピラー社の日本進出に伴いマルA対策と呼ばれる品質向上活動が行われた。この結果、飛躍的に製品の品質が向上した。これを一つの契機として世界進出が本格的に開始される。現在ではアメリカ、ヨーロッパ、アジア、中国、ブラジルなどに50近い生産拠点がある。

1988年、アメリカのドレッサー・インダストリーズ(英語版)とのジョイントベンチャーでコマツ・ドレッサーを設立し、ホウルトラック市場に参入。1994年にはドレッサー社の持ち分を買収して子会社化した。1996年、ドイツの老舗建機メーカーであるデマッグ(英語版)社とのジョイントベンチャーでドイツ国内にデマッグ・コマツ有限会社を設立し露天掘り鉱山用の超大型油圧ショベル市場に参入。1999年にはデマッグの油圧ショベル部門を買収しドイツの現地法人として完全子会社化した。ちなみにデマッグはその後もクレーン専業メーカーとして存続したが2002年にゼネラルモーターズ系列のテレックスの子会社になり、2019年にはタダノが買収して子会社化しデマッグは名実ともに日本企業に買収された形になる。


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