コチャバンバ水紛争
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コチャバンバ水紛争(コチャバンバみずふんそう、西: Guerra del agua)は、1999年から2000年4月にかけてボリビアコチャバンバで発生した水道事業の民営化と水道料金の値上げに対して、市民が起こした反対運動である。特に、2000年4月6日からの大規模な暴動では、都市機能が麻痺し、国際連合開発計画の報告によれば、数十人が負傷、6人が死亡した[1]。4月10日に、民営化が撤回されたことで事態は収束した。ボリビア水戦争とも[2]

一般的に、開発途上国に対して先進国から突きつけられた新自由主義的政策(市場原理主義、自由化、公営企業の民営化など)に対する人民の闘いでの勝利と論じられることが多い[3][4]。しかし、そのような見解は誤りだという指摘も存在する[3][5]。また、水紛争は「これまでの反国家、反権力に基づく権利要求のための暴動というより、生活に必要なものを自律的に管理することを求めた新しい社会運動である」とする分析も存在する[6][7]
語彙

ここで「コチャバンバ市営水道局(西: Servicio Municipal de Agua Potable de Cochabamba)」は、略称の「SEMAPA」を使用する。この紛争で民衆側の抗議で中心的な役割を果たした「水と生命を守る連合(西: la Coordinadora para la Defensa del Agua y de la Vida)[注釈 1][注釈 2]」は「CDAV」と表記する。同様に「国際通貨基金」は略称のIMFと表記する。
背景
ボリビアの状況
ボリビアの政治状況

1985年、4回目のボリビア大統領の座についたビクトル・パス・エステンソロには、国内経済の抜本的な立て直しが求められていた[8]。第1に、ボリビアはハイパーインフレーションによる深刻な経済危機に見舞われていた[8]。第2に、かつてボリビア経済を牽引していた錫産業の急速な衰退により国営による鉱山運営は多額の赤字を生み出す存在になっていた[8]

ビクトル・パス・エステンソロの政権は、ジェフリー・サックスなどの北米の経済学者の助言を受け入れ、デノミネーションを実施、為替相場の自由変動制への移行、緊縮財政、公務員給与および実質賃金の削減、外国借款の返済の一時凍結などが実施された[9]。後に「ボリビア・モデル」と呼ばれる経済政策で[10]、危機的な状況を脱することに成功した[8]

1993年の大統領選挙で、ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサーダが当選し、民族革命運動党(MNR)が政権復帰を果たした[11]。サンチェス・デ・ロサーダは、パス・エステンソロの経済政策を引き継ぎ、数多くの国営企業の民営化を行った[12]

民営化された国営企業は、ボリビア石油公社、ボリビア電力公社、ボリビア国鉄、ボリビア電信電話公社、LAB航空などであった[12]。多くは国営企業を株式化し50%をそのまま政府が保有し、残り50%を民間企業グループに売却して経営を企業グループに委ねるという方法であった[12]

1997年のウゴ・バンセル・スアレスが大統領に指名された[13]。ウゴ・バンセル政権は、新自由主義政策を踏襲し、汚職撲滅、不法コカ栽培の撲滅、7%経済成長などの5カ年計画を掲げた。しかし、1999年のブラジル金融危機など近隣諸国の経済低迷の影響を受け、金融危機にも直面した[14]
ボリビアの貧困率

世界銀行の調査では、1999年11月時点でのボリビア全土の貧困率は62.7%、最貧困率は36.8%と見積もっていた[15]。都市部は、貧困率47.0%、最貧困率21.6%[15]。一方で農村部は貧困率81.7%、最貧困率58.8%であった[15]

世界銀行の調査によると、1999年のボリビアのジニ係数は、50.60であった[16]
コチャバンバの地理.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}コチャバンバサンタ・クルスラ・パススクレ コチャバンバの位置

コチャバンバはアンデス山脈の造山活動による褶曲でできた構造盆地の中にあり、標高は2,500m前後である[17]

街の中心には、ロチャ川(スペイン語版)(西: Rio Rocha)が流れる[17]。市街の南部にはタンボラーダ川(西: Rio Tamborada)が流れる[17]。また街の南東にアラライ湖(西: La Laguna Alalay)がある[17]

コチャバンバはケッペンの気候区分で乾燥帯のステップ気候に属し、雨季(夏期)と乾季(冬季)に分かれている。雨季にあたる12月から3月は月平均70?100mmの降水量があり、また乾季の5月から9月は月平均5mm未満である。年間降水量は400mm程度である。

コチャバンバの北側に市街地を取り囲むようにトゥナリ山脈(西: Cordillera del Tunari)が連なっている[17]。そのふもとには沖積扇状地が広がり、比較的緑が多い[17]


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