コダック
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この項目では、写真用フィルムメーカーについて説明しています。ポケモンについては「ポケモンの一覧 (52-101)#コダック」をご覧ください。

イーストマン・コダック
現地語社名Eastman Kodak Company
種類公開会社
市場情報NYSE KODK
業種一般消費財
事業分野写真用品の製造
カメラ・デジタル画像機器の製造
映画関連製品の製造 他
設立1892年5月23日
創業者ジョージ・イーストマン
本社ニューヨーク州ロチェスターState Street 343、 アメリカ合衆国
主要人物James V. Continenza(会長兼CEO
売上高連結: 10億2900万USD (2020年12月期)
営業利益連結: △8400万USD (2020年12月期)
利益連結: △5億4100万USD (2020年12月期)
総資産連結: 12億4800万USD (2020年12月31日現在)
従業員数4500名 (2020年[1])
ウェブサイトhttps://www.kodak.com/en/

イーストマン・コダック(: Eastman Kodak Company)は、アメリカ合衆国に本拠を置く、かつて世界最大の写真用品(カメラレンズ写真フィルム印画紙、処理剤)メーカーであり、現在は商業印刷の大手である[2]。一般的にはコダックの略称で知られている。
概要

世界で初めてロールフィルムおよびカラーフィルムを発売したメーカーである。また、世界で初めてデジタルカメラを開発したメーカーでもある。写真関連製品の分野で高い市場占有率を占めることで知られていたほか、映画用フィルム、デジタル画像機器などの事業も行っていた。EasyShare CX7530

カメラも、小型mmカメラ、中判カメラの設計製造、カメラ用レンズや眼鏡レンズなどの光学機器の設計製造も手掛け、35mm小型カメラの「コダックレチナ」、小型35mmでレンズ交換が可能なほか、フィルムマガジンの交換も出来る高級機種の「コダックエクトラ」、中判機種では中型カメラの「コダックメダリスト」などの高級機種の製造発売がされ、自社製品のレンズが添えられていた。カメラ用のレンズは、「コダック・エクターレンズ」、「コダック・コマーシャルエクターレンズ」の名称で、小型mmカメラ用レンズ、中型機種の中判カメラ用レンズ、大型機種の大判カメラ用レンズがそれぞれに発売され、自社製品のカメラ以外のメーカーが発売するカメラ用のレンズを供給し、フィールドカメラやビューカメラ用の中版カメラ用や大版カメラ用のレンズが発売された。
コダックのカメラ

イーストマン・コダック社が発売したカメラの一部を、例として取り上げる。
35mm小型カメラ

35mm小型カメラの蛇腹付きの折り畳みカメラが、コダック・レチナの名称で発売された。自社製品のレンズである、コダック・エクターレンズが取り付けられていた。

コダック・エクトラ.小型の35mmカメラで、レンズ交換以外に、フィルムマガジンの交換も可能な高級機種である。複数の焦点距離を持つ、レンズが用意されていた。レンズはコダック・エクターレンズである。
中型カメラ

中判の画面を撮影出来る中型カメラには、コダック・エクターレンズが固定された、距離計連動レンジファインダーカメラの、Kodak Medalist Cameraが発売された。フィルムのサイズは120ブローニーフィルムと、同じ幅であるのだが、フィルムの巻き取りスプールが、薄い金属製で出来ていた620フィルムのサイズで造られているので、2020年現在発売されている120ブローニーフィルムは、スプールを620のものに巻換えて使うか、カメラのフィルムセット位置を削って、120ブローニーフィルムが入れられるようにして使わなければならない。使用されている、コダック・エクターレンズが優秀なレンズであるので、使っている人もいる。
コダックのレンズ

イーストマン・コダック社は自社製品のカメラに取り付けるものの他に、他社製品のカメラへのレンズ供給も行っていた。他に、どんな組み合わせでも、好みに合わせられるフィールドカメラや、ビューカメラで使用するレンズを作製しており、レンズ専門の光学機器メーカーが発売しているレンズと競ってきており、優秀なレンズが発売された。

中版カメラのハッセルブラッドカメラ1600F、1000F用にコダック・エクター80mm F2.8、コダック・エクター135mm F3.5レンズが供給してきていた。他にコダック・エクター55mm F5.6、コダック・エクター154mm F6.3が少数ずつ製造され、発売に向けて試験が行われた[注釈 1]が、暗いために中止されていた。シュープリームワイドアングルで、カールツァイスのビオゴンを採用したことでカールツァイスに変更されたために、他の焦点のレンズの供給はなくなる。

中判のフィールドカメラ用のものと、大判のフィールドカメラや、ビューカメラ用にコダック・エクターレンズと、コダック・コマーシャルエクターレンズが製造されていた.中版のテクニカルカメラ、リンホフスーパーテヒニカと、大判のフィールドカメラ、リンホフマスターテヒニカや、ビューカメラのジナーのカメラ等に、他社製品と交換して利用されている。
フィルムメーカーになった後

2000年頃までは世界的な大手企業であり、「写真撮影の決定的瞬間」を意味する「コダック・モーメント(Kodak Moment)」という言葉も出来た。1975年には、世界初のデジタルカメラを開発するなど、アナログ分野だけでなくデジタル分野でも、高い技術力を誇っていた。

写真フィルム事業での大きすぎる成功のため、写真フィルムの業績に悪影響を与えるとの理由から発明品であるデジタルカメラの商業化を見送るなどデジタル化の波に乗り遅れ、2000年代以降のフィルム市場の急激な衰退にともない、2012年に会社が倒産した。

「コダック・モーメント」とは、「市場が急激に変化する決定的瞬間」を意味することになり、旧分野での大きすぎる成功のため、新たなイノベーションに乗り遅れる「イノベーションのジレンマ」、または新興の技術が、旧来の優れた技術を破壊的に駆逐する「破壊的イノベーション」の代表的な犠牲者として知られることになった。

2012年の倒産後は、企業規模を大幅に縮小して再出発。2013年に再上場した。

最盛期6万人を超えた従業員は、現在約10分の1程度となっている。
沿革

1880年 - 写真乾板の製法を確立したジョージ・イーストマンが、ニューヨーク州ロチェスターにて乾板の商業生産を始める[3]

1881年 - ジョージ・イーストマンとビジネスマンのヘンリー・A・ストロング(英語版)が、前身となる「イーストマン乾板会社」(Eastman Dry Plate Company)を創業[2]

1888年 - ジョージ・イーストマンが商標「コダック」の使用を開始。同時に「あなたはボタンを押すだけ、あとは私たちにお任せを」(You Press the Button. We Do the Rest.)という触れ込みで市場に参入。

1892年 - 社名を現在のものに変更[2][3]

1900年 - 同社初のカメラ製品「ブローニー」を1ドルで発売し、大衆に写真を一気に普及させた。

1920年 - テネシー・イーストマンとしてフィルム素材の原料を製造する子会社を設立。

1921年 - シネコダックとして、小型映画の規格「16mmフィルム」を発表。

1932年 - シネコダック8として、のちに「ダブル8」と呼ばれる小型映画の規格を発表、同年3月14日、ジョージ・イーストマン死去。

1963年 - 「インスタマチック」規格を発表。

1965年 - 新しい小型映画の規格「スーパー8」を発表。

1971年 - 「ポケットインスタマチック」規格を発表。

1982年 - 「ディスクフィルム」規格を発表。

1993年 - フィルム素材の原料を製造する子会社がイーストマン・ケミカルとして独立。

2001年 - 11月9日、同社の名を冠したコダック・シアターがオープン。

2004年 - 従業員数が5万人に達する。

2007年 - 医療用X線フィルムなどのヘルス事業をカナダオネックスに売却。コダックの旧ヘルス事業はオネックスが設立した子会社ケアストリームヘルス(英語版)に移管、コダックから引き継いだヘルス関連の製品は引き続きコダックのブランドで販売されている。米イーストマンコダックの映画用カラーフィルムで撮影された作品が、アカデミー賞誕生以来79年連続して最優秀作品賞を受賞している。

2008年 - この年の北京オリンピックを最後に、長年務めたオリンピックのスポンサーから撤退。


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