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やノートページでの議論にご協力ください。コスプレダンスパーティーとは、参加者が主にアニメやゲームに関するコスプレをしてクラブ(ディスコ)あるいはレンタルホールや公民館等の会場でアニメソングやゲームソング、ユーロビートやハイパーテクノをはじめとするダンスミュージックなど、さまざまなジャンルの楽曲で踊るイベントのことである。コスパ、コスプレダンパ、また単にダンパ等と省略して呼ばれている。現在もコスプレイベントの一要素として定着しており、ダンスパーティー単独での開催は全盛期からは減ったものの、コスプレイベント開催時にダンスパーティーのスペースを用意している場合もある。
有名な会場としては関東の晴海客船ターミナルホールや、ムーブ町屋、東京ドームシティアトラクションズ(ジオポリス)等。他地方でも様々な場所で行っている。 誰がいつコスプレダンパを始めたかには諸説あるが一般に言われているのが、同人誌即売会の一角、もしくは終了後にラジカセを持ち込んで皆で歌ったり踊ったりしていたのが発祥と言われている。超時空要塞マクロスの登場人物でアイドル歌手という設定のリン・ミンメイのコスプレをした女性達によるカラオケ大会をアニメ雑誌『マイアニメ』が取り上げて発展した物だとも言われる。「コスプレダンスパーティ」という形態でイベントを始めたのは名古屋もしくは大阪が最初という説もあるが定かではない。 企業主アマチュア主催の2系統のイベント形態が活発に行われた。 俗にコスプレダンスパーティー自体を「コスパ」として略して呼ばれることもあるが、このコスパの狭義の意味としては株式会社ブロッコリーが主催していたコスプレダンスパーティーイベントの名称のことを指す。コスパは1994年10月に東京・芝浦のディスコ「Gold」にて第1回が開催され、593人を動員した[1]。以後同人誌即売会「コミックキャッスル」と並んで創業当初のブロッコリーの営業の主力を担ったとともに、各種メディアに取り上げられるなどして当時勃興し始めたコスプレブームの一翼を担った。但し、初期には1995年5月「GOLD」で約1200人、同年9月「ヴェルファーレ」で約1200人と1000人規模の動員もあったものの、1997年9月の「ツインスター」で約500人と動員数は減少傾向にあり、これは企画のマンネリ化やブームに乗っていただけのコスプレイヤーが居なくなったためとされる。また、開催者側にとっては収益の出ない事業であり、メセナや他業の宣伝と割り切って続けられていた[1]。 会場は主に神楽坂「ツインスター」(現在は閉店)、六本木「ヴェルファーレ」(2006年末閉店)が使われており、それ以外にも全国主要都市で開催、最盛期には年間10?20回のペースで催され、年間約10万人の動員を記録した。またブロッコリーが初めて横浜アリーナを借り切って開催したイベントも、このコスプレダンスパーティーイベントであった。 その後、ブロッコリーの業態がキャラクターコンテンツビジネスに主眼を置くようになり、また他のイベント主催者がコスプレダンスパーティーを始めとするコスプレイベントを多数開催するようになったため、2001年5月をもってブロッコリー主催のコスパは終了することとなった。このコスパのイベント開催経験をもとに、ブロッコリーは様々なイベントを開催していくようになる。一方で1995年には、コスパの主要スタッフが独立し「株式会社コスチュームパラダイス(その後株式会社コスパに社名変更)」を創業、コスプレ衣装の制作・販売や各種イベントの開催・運営を行っている。アマチュア団体主催のコスプレダンスパーティー 同人誌即売会終了後、机と椅子の撤去後の2?3時間程度公民館など公共施設のホールなどを借りての開催が行われたが、やがてコスプレダンスパーティー単独で開催されるようになり50?300人程度の動員があった。 主催者側のスタッフが曲をかけることでアマチュアDJとして活躍し始め、のちにはプロになる者もいた。 水分補給の為にフリードリンク制の水場(みずば)と呼ばれる薄い麦茶をスタッフ側が用意していた。 2000年代のコスプレダンスパーティーは、コスパなどの企業が撤退していたが、アマチュアの団体によるイベントの開催がさらに盛んとなる。 この頃には主催団体のスタッフが学生から社会人になり始めており、一部ではあるがそのままオタクコンテンツとしてのイベント主催企業を立ち上げる者も現れた。その企業や社会人スタッフが会場が手狭になり大きな箱を求めて今までの公共施設ではなく専用のクラブなどに移行し始めた。関東のコスプレダンスパーティーでは、アニメソング、特撮ソング以外にユーロビート、テクノ(テクパラ)を中心とする踊るための曲が取り入れ始めた。しかし、イベントの種類によっては、アニメソング限定であったり(これは特に懐古系、いわゆるじじい系 公共施設でのイベント開催も一部主催団体が会場を移行したのを機に他の団体が年に数度ほど一定数行われていた。 2007年頃から、曲を踊ることを中心としたダンパという形態とは異なり、クラブスタイルのイベント(アニソンクラブイベント、通称:アニクラ)が登場し、2010年代からの主流となった。 振り付けを踊ったり、曲を次々と変えて踊ることに重点を置いたコスプレダンパに対し、アニソンクラブイベントでは、音楽そのものをDJのプレイとともに楽しむことを目的とし、踊りもフリースタイルやヲタ芸が中心である。一方、コスプレダンパでは、関東地方以外では大きく縮小していった。その背景には、2000年代のコスプレダンパにおいて、配布されたDVDなどの映像をもとにイベントの外であらかじめ踊りを覚えてくるようなスタイルが主流となり、初心者が入りづらくなったこと、ならびに個人団体によるイベントの減少などの理由から昼間に開催するイベントが減少し未成年者が参加しづらくなったことがあげられる。 また、2018年6月30日を以てディファ有明が営業を終了するなど、会場施設の老朽化による建て替えに伴い以降開催を縮小せざるをえない状況もある。 2019年に発生した新型コロナウイルス感染症が日本国内において蔓延し始めたのを受け、コスプレ系のイベントも会場施設の運営上の制限や主催者による自主的なイベントの自粛・中止が起こった。 2021年になると、政府や自治体からの要請により、事実上ともいえる深夜営業の制限が科され、コスプレダンパは一気に衰退した。 関東地方のスタンダードなコスプレダンパでは以下のジャンルが中心に流れる。 また、他ジャンルとしては以下のものがあげられる。 1997年頃の「コスパ」ではユーロビートに合わせてパラパラが踊られることがあったが、パラパラもユーロビートも当時はコスパ以外では「ブームの過ぎた過去の遺物」とされていた[1]。
歴史と変遷
1990年代以前
1990年代
企業主催のコスプレダンスパーティー
この頃、多くのアマチュア団体ができ始めたが会場は公共施設であり、同じ施設に対しての開催頻度が高くなるとその地区の利用者が借りることができないなどの問題が生じ始め、他にも会場近くでの騒音・たむろ等のトラブルにより借りられなくなる施設が出た。
イベントでの略称は、どの団体が開催しても「ダンパ」である。
2000年代
2010年代
2020年代
音楽(ジャンル)
アニメソング(アニソン)・特撮ソング・ゲームソング(主題歌や挿入歌等)
J-POP(ジャニーズ系・ハロー!プロジェクト系・ヴィジュアル系など)
ユーロビート
ハイパーテクノ
ダンスポップ(ダンスマニア等)
トランス
萌えソング(I've系サウンドなど)
その他クラブ系サウンド(ヒップホップ・R&B・レゲエなど)
踊り方
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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