コシミハル
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コシミハル
出生名越美晴
生誕 (1960-01-03)
1960年1月3日(64歳)[1]
出身地 日本 東京都小金井市[1][2]
学歴和光大学人文学部卒業[2]
ジャンルニューミュージックシティ・ポップ
テクノポップニュー・ウェイヴ
職業シンガーソングライター
担当楽器
ピアノキーボード
活動期間1978年 -
レーベル日本コロムビア
共同作業者Swing Slow(細野晴臣
公式サイト ⇒http://miharukoshi.info/

コシ ミハル(1960年1月3日[1] - )は、日本女性シンガーソングライター本名・旧芸名は越 美晴(読み同じ)。
来歴

東京都[1]小金井市出身[2]。父は読売日本交響楽団ファゴット奏者、母は声楽家というクラシック音楽家の家庭に育つ[1][3]。3歳からピアノ、8歳から作曲を始め、11歳で越路吹雪に憧れシャンソン弾き語りを始める[3]。またクラシックバレエを習う[3]和光大学人文学部卒業[2]

オーディション番組『君こそスターだ!』出場をきっかけに[2]1978年10月5日[4]RCAレコードから越美晴名義で発表したシングル「ラブ・ステップ」でメジャー・デビュー[1]する。1stアルバム『おもちゃ箱 第一幕』からシングルカットされた「気まぐれハイウェイ」ともどもヒット曲となり、ピアノを弾きながらシティ・ポップ系の楽曲を歌うスタイルは、当時人気だった原田真二の女性版とも例えられた。翌1979年にはNHK総合テレビ音楽番組レッツゴーヤング』で「サンデーズ」の一員としてレギュラー出演[2]した。

しかしデビュー当時の1970年代から1980年代初頭にかけては、音楽業界においてもテレビ番組芸能雑誌が主要なメディアであり、若い女性シンガーソングライターはそれだけでアイドル歌手のような扱いを受けることが多かった。越美晴の場合もクラシック音楽の教育を受け、作詞作曲演奏を自らこなす正統派のシンガーソングライターであるにもかかわらず、その例に漏れなかった。同時代の女性シンガーソングライターには、大ヒット曲「異邦人 -シルクロードのテーマ-」を生みながら芸能界に違和感を覚え活動停止した久保田早紀、「みずいろの雨」などのヒット曲を多数生みながらも海外移住の道を選んだ八神純子、高い実力を持ちながら商業的に成功しなかったという理由で不本意な活動を強いられ、インディーズへ移行した中山ラビ佐井好子などがいる。当時の所属レコード会社だったRCAは、RCA 3M作戦と称する販促用LPを制作、越美晴・桑名正博・竹内まりやの曲が収録されていた[5]

越美晴は1980年代以降、当時世界的にポピュラー音楽界を席巻していたテクノポップニュー・ウェイヴに傾倒し、それに伴い音楽性も大きく変化を遂げる。細野晴臣との出会いを契機として「脱アイドル化」の道を自力で切り拓き、軽快なピアノ弾き語りのニューミュージック路線から180度転換して、フレンチ・ポップスを思わせる耽美的なテクノサウンドで従来からのファンを驚かせた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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