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出典検索?: "コシノヒロコ"
こしの ひろこ
コシノ ヒロコ(小篠 弘子)
生誕 (1937-01-15) 1937年1月15日(87歳)
日本・大阪府
出身校文化服装学院
職業ファッションデザイナー
アーティスト
子供小篠ゆま
親小篠綾子
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コシノ ヒロコ(本名:小篠 弘子(読み同じ)、1937年〈昭和12年〉1月15日[1] - )は、日本のファッションデザイナー。大阪府岸和田市五軒屋町出身。関西大学客員教授、神戸芸術工科大学客員教授、神戸松蔭女子学院大学客員教授。血液型A型[2]。 母は同じくファッションデザイナーの小篠綾子。同じくファッションデザイナーの妹コシノジュンコ(小篠順子)、コシノミチコ(小篠美智子)とともに「コシノ三姉妹」として知られる。娘(次女)の小篠ゆまもファッションデザイナーである。長女の小篠由佳
人物
3歳の頃より祖父の影響で歌舞伎、文楽、お茶屋の文化に親しむなど、幼少の頃から様々な事に興味をもち、中でも絵を描く事を好み、将来の夢として絵描きを志す[5]。
大阪府立岸和田高等学校在学中に美術部に入部、絵画を学ぶ。高校卒業後、美大進学を母親に反対され進路に迷っていたが中原淳一のデザインの絵を見て、縫製嫌いだったコシノは縫わずとも画家という形でファッションに携わることができると気づき、ファッションの世界に進む事を決意[5][6]。
上京後、文化服装学院に通いつつ、スタイル画の大家、原雅夫に師事。「銀座小松ストアー(現・ギンザコマツ)」に勤務し、銀座で三宅一生、高田賢三らと交流する[7]。
アーティストとしても活動しており、2012年には東京・銀座に旗艦店の「ヒロココシノ銀座店」とあわせてアート作品展示館の「KHギャラリー」をオープン[8]。翌2013年には、兵庫県芦屋市の安藤忠雄設計の旧自邸をギャラリーとして改装し、「KHギャラリー芦屋」として予約制で一般公開している[9]。アート作品を発表する際は、本名の「小篠弘子」と表記している。
地元・大阪府岸和田市のだんじり祭りの時期には、「お母ちゃんのためにも」と3姉妹で岸和田に帰郷している[6]。
プロ野球監督の星野仙一との親交でも知られ、星野の大阪後援会では副会長(婦人部部長)を務めている他、文化服装学院の同窓会・すみれ会の会長を十年ほど務めていた[10]。
経歴
1957年、文化服装学院在学中にN.D.C.(日本デザイナークラブ)デザインコンクール第1位受賞。
1959年、文化服装学院卒業(ファッションデザイン科 7期)[10][11]。
1961年、卒業後、銀座小松ストアー(現ギンザコマツ)ヤングレディースコーナー専属デザイナーを経て、自身のブランドを設立。
1964年、大阪・心斎橋にオートクチュールアトリエを開設。
1970年、朝日放送系のテレビドラマ『お荷物小荷物』ドレスコンサルタントとして参画。
1977年、東京コレクション参加。以後年2回出品。
1978年、ローマのオートクチュール・コレクション「アルタ・モーダ」に日本人として初めて参加。
1982年、パリ・プレタポルテコレクションに参加。以後年2回参加。
1984年、中国・上海で日本人として初めてコレクションを発表。
1987年、コシノヒロコの呼びかけにより大阪府、大阪市、経済団体が開催委員会を結成し[12]、同年11月25日に第1回目となる大阪コレクションをマイドームおおさかにて開催[13]。
1987年、韓国・ソウルでコレクションを発表。
1988年、昭和学院秀英高等学校の制服をデザイン。
1990年、沼津学園高等学校(現・飛龍高等学校)の制服をデザイン。
1993年、パリ・コレクション参加10年を機に、コレクション参加を中止。
1995年、アメリカ・ワシントンD.C.における第11回国際アパレル連盟総会で、アジアを代表するデザイナーとして講演。
1997年、大阪近鉄バファローズのユニフォームをデザイン。コシノヒロコ作品集「HK2001」を出版。
2000年、郷里である大阪府岸和田市で、ヒロコ、ジュンコ、ミチコ3姉妹のコレクションを開催。
2001年、芦屋・奥池に生活の拠点を移し、アトリエ、ギャラリー&ゲストハウス「SEMPER」が完成。
2002年、墨絵を中心とした「仄かと閃き」展を東京ヒロココシノギャラリーで開催。
2005年、環境省主催の地球温暖化防止活動の一環として愛・地球博で開催された「COOL BIZ Collection」の総合プロデューサーを務める。
2007年、阪神タイガースの交流戦用ユニフォームをデザイン。
2009年、パリ・コレクションに復帰。
2010年、体操日本代表のユニホームをデザイン。
2012年、東京・銀座の並木通りに旗艦店を移転し、アートギャラリー KHギャラリー銀座 を併設。