ゲーリー・リネカー
2011年のリネカー
名前
本名ゲーリー・ウィンストン・リネカー
Gary Winston Lineker
愛称リンクス(山猫)
ラテン文字Gary Lineker
基本情報
国籍 イングランド
生年月日 (1960-11-30) 1960年11月30日(63歳)
出身地レスター
身長177cm
体重74kg
選手情報
ポジションFW (CF)
利き足右足
ユース
1976-1978 レスター・シティ
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1978-1985 レスター・シティ 194 (95)
1985-1986 エヴァートン 41 (30)
1986-1989 バルセロナ 103 (42)
1989-1992 トッテナム 105 (67)
1992-1994 名古屋グランパスエイト 18 (4)
代表歴
1984-1992[1] イングランド80 (48)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
ゲーリー・ウィンストン・リネカー OBE(Gary Winston Lineker OBE, 1960年11月30日[2] - )は、イングランド・レスター出身の元サッカー選手。元イングランド代表。ポジションはフォワード。ガリー・リネカー、ギャリー・リネカーと表記されることも多い。 青果商の息子として生まれ、1974年に地元のクラブチーム・レスター・シティに入団。1984-85シーズンはレスター・シティで24得点で得点王を獲得、1985-86シーズンはエヴァートンで30得点で得点王を獲得し、FWA年間最優秀選手賞を受賞した[3]。 1986-87シーズンFCバルセロナに移籍、1シーズン目はトータルで21ゴール、2シーズン目には20ゴールを挙げていたが[4]、3シーズン目にはヨハン・クライフが監督に就任すると本来のセンターフォワードではなくウイングとしてプレーした[4][5]。クラブではリーグ戦で103試合出場42ゴールの成績を残した[6]、1986-87シーズン1月31日のレアル・マドリード戦ではリネカーのハットリックで3-2とクラシコに勝利した[7]。1988-89シーズン、UEFAカップウィナーズカップでは準決勝、CSKAソフィア戦の1stレグでは1ゴールを決め[8]、2ndレグでも1ゴールと[9]決勝進出に貢献、決勝でサンプドリアを破り優勝を果たした。 1989-90シーズンからトッテナムに移籍、同シーズンは24得点を挙げ、3度目の得点王を獲得、1990-91シーズン、決勝でノッティンガムを2-1と破りFAカップで優勝した[10]。1991-92シーズン、得点王のタイトルを逃したが、28ゴールを決めて、FWA年間最優秀選手賞を受賞した。 1992年、Jリーグの名古屋グランパスエイトに移籍。当時のJリーグ最高年俸(推定3億円)だった[6]。同年のJリーグカップには出場しなかったが、コリンチャンスとの親善試合でグランパスの選手として初出場[11]、1993年のJリーグ開幕を前に、トッテナム在籍時のチームメートであるポール・ガスコインとの対決として注目を集めた[12]開幕前のプレシーズンマッチのラツィオ戦では決勝ゴールを決め[13] 、グレミオ戦でも2試合連続ゴールと、好調を維持していた。
クラブ経歴