ゲーリー・グッドリッジ
本名ゲーリー・ヘンリー・グッドリッジ
(Gary Henry Goodridge)
生年月日 (1966-01-17) 1966年1月17日(58歳)
出身地 トリニダード・トバゴ
ポートオブスペイン、セントジェームス
通称剛力王
PRIDEの番人
ビッグ・ダディ(Big Daddy)
国籍 トリニダード・トバゴ
カナダ
身長191 cm (6 ft 3 in)
体重109 kg (240 lb)
階級スーパーヘビー級 (キックボクシング)
ヘビー級 (MMA)
スタイルアームレスリング、ボクシング、キックボクシング、クックスールウォン
ゲーリー・グッドリッジ(Gary Goodridge、1966年1月17日 - )は、トリニダード・トバゴの元男性総合格闘家、元キックボクサー。首都ポートオブスペインのセントジェームス地区出身(en:Saint James, Trinidad and Tobago)。カナダ・オンタリオ州バリー在住。ビッグ・ダディ・ファイトチーム主宰。
本格的に格闘技を始める前はアームレスリング世界王者であった。並外れた怪力の持ち主で、完全に極まったアームロックを腕力のみで外してしまったこともある。左腕に刻まれた“剛力”のタトゥーは、文字通り自らのパワーを誇示するために彫ったものである。筋骨隆々とした強面な風貌とは裏腹に、普段は温厚で紳士的な人物として知られ、格闘技関係者から尊敬を集めている。PRIDE参戦当時のニックネームは「PRIDEの番人」。これはグッドリッジが、PRIDE初参戦の選手と数多く対戦したことに起因する。初参戦の選手にとっては立ちはだかる厚い壁、ファンにとっては積極的なファイトで会場を沸かせる名物選手として人気を集めた。 トリニダード・トバゴの首都ポートオブスペイン・セントジェームス地区で生まれ、カナダのオンタリオ州バリーへ移住。プロ格闘家になる前は、アリストンにあるHONDAの工場で働いていた。 UFC 2を一緒に見ていた友人の勧めでUFCに出場を決める。グッドリッジはアマチュアボクシングでカナダのスーパーヘビー級王者だったが、UFCに出場するには他の格闘技も習うべきだと考え、クックスールウォンの道場に入門した。 1996年2月16日、総合格闘技デビュー戦となったUFC 8にてトーナメントに出場。トーナメント1回戦でポール・ヘレラ、準決勝でジェリー・ボーランダーにKOで勝利するも、決勝戦でドン・フライに敗れた。 1996年5月17日、UFC 9でオリンピック・レスリング金メダリストのマーク・シュルツと対戦し、TKO負け。 1996年7月12日、UFC 10のトーナメントに出場。トーナメント1回戦でジョン・キャンペテーラに勝利するも、準決勝でマーク・コールマンに敗れた。 1996年12月7日、Ultimate Ultimate 1996のトーナメントに出場。トーナメント1回戦でドン・フライトと対戦するも疲労によるギブアップで敗れた。 1997年7月6日、IVC 1のトーナメントに出場。1回戦、準決勝を勝ち進むと、決勝でペドロ・オタービオに勝利して、トーナメント優勝を果たした。 1997年10月11日、初来日。PRIDEの旗揚げ戦となったPRIDE.1で、サンボ選手権王者のオレッグ・タクタロフをその豪腕で殴り倒し、戦闘不能に追い込みKO勝ち。 そのアグレッシブなファイトスタイルを買われ、PRIDE.2でマルコ・ファス、PRIDE.3でアミール、PRIDE.4でイゴール・ボブチャンチンと連続で出場。 1999年7月4日、PRIDE.6でバルセロナオリンピック柔道銀メダリスト小川直也にV1アームロック一本負け。 2000年1月30日に開催された『PRIDE GRANDPRIX 2000』では、1回戦で大刀光にギロチンチョークで一本勝ちするも、5月1日の2回戦でイゴール・ボブチャンチンにKO負けを喫した。 2001年7月29日、PRIDE.15では、PRIDE初参戦のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに三角絞めを極められ、タップアウト負け。
概要
来歴
総合格闘技
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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